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汎用性
最適化
パラレル・プロジェクションズ
日時:2016/10/9 18:00〜19:00
会場:建築会館ホール、他
テーマ:建築行為を日常化するための技術は何か?
ゲストコメンテーター:馬場正尊|Open A、西田司|オンデザインパートナーズ
【登壇者(予定)】
岩岡孝太郎 中村俊哉+藤井愛 清水靖真 篠元貴之 西野雄一郎 柿木佑介 水野太史 細谷悠太 吉川晃司 伊藤智寿 佐藤布武
柿木さんありがとうございます!クレジットについての捉え方一つとっても広がりがありますね。 1つ投げかけてもよいでしょうか? 愛着と透明性を作ることで、日常において建築の維持管理や更新が意識化される。建築に対してのリテラシーが高まる。 意識をゆるやかに変えていくプロセスもとても魅力的ですが、建築が建ったあとの建築行為に関する部分のプロセスをもう少し話して頂けたらと思います。セッションでも出た”Keep It Yourself”の発想、具体的にどのようなことが起こりうるか可能性を探りたいです。
具体的に、となると、今自分がやっているプロジェクトをもとに主観的に記述することになってしまいますが、そこから逆にグループ10の議論全体に共通して言える何かが見つかれば良いなと思い書かせていただきます。
今私は富士吉田市でオフィスビルをホテルにコンバージョンする計画を進めております。 予算が潤沢にあるわけではないのですが、お施主さんがその地域ご出身の方で、周りに地域に根ざした作り手のお知り合いが多く、材料をある程度(=そんなに選択肢が用意されているわけではない)融通してくださり、施工してくださる、といった状況です。そこから集まってくる材料に形を与えて適材適所ハコモノ既存建築物に組み合わせていき、ハコモノのマッスなスケールを解体しながら内外に人の居場所をつくっていこうと考えています。 設計の手法として「集まって来るものを組み合わせていく」というスタンスは、新しい要素を受け入れる余地も見えますし、建築が分解されて捉え易くなるので修繕や更新を思考しやすくもなります。集まってくる材料にどのような形を与えて、それをどこに付け足していくかは設計が主導となってお施主さんと作り手の方と議論しながら進めます。 さらに、そうやってどんどんと組み合わせていく各「部分」ごとに「作り手のクレジット」を記載していこうと考えています。作り手を「下請け」という括りでブラックボックス化しがちな建築行為の体系を見直し、積極的に作り手の方々を表に出していくわけです。これは作り手のモチベーションアップ、広告効果、責任感=アフターケアの充実などにつながります。 (今回はお施主さんと作り手の方々は元々知り合いですが、そうでない状況であればそのつながりもできます) これらのことによって、施主・施工・設計の各方面からの修繕や更新へのアプローチが生まれると考えています。 お施主さんの要望や設計者からの提案があって、地域の作り手の方々によって色々なものが足されていって、作り手側からもこんな材料や技術があるけど何か使えないか等と発信もあるでしょうし、これらの状況を見た他の作り手が新たにこの建築に参加してきてそれをきっかけにまた新しい別の要素が組み合わされていく可能性もあるので、どこが竣工なのかもよくわらかない状態になります。 竣工という断絶がなく、建て築くという行為が連続していく環境を用意するイメージです。
セッション00の時に出たKeep it yourselfは建築主自らが建築行為で日常をつくるといった内容でしたが、あれは未来の社会像を仮にディストピア(建築100年法)として設定したところからきているので、ここでは広い意味で「その建築に関わった人たち、また、これからその建築に関わる人たちが、その後の建築行為に主体的に携わり、修繕や更新を行っていくこと」と捉えています。
議論の口火を切って頂きありがとうございます! 「クレジット」は「その物事に主体的に関わる」ということだと思います。 施主、施工、設計など、建築に関わる人たちが皆主体的であればリスクを押し付け合うのではなく「リスクを共有できる」ので、それは新しい建築が生まれる可能性が高まるでしょうし、建築に愛着と透明性をもたらす効果は期待できますよね。 愛着、つまり、気にかけて大事にする、ということは日常において建築の維持管理や更新が意識化される。 透明性、つまり、建築の計画や仕組みや作り方が見える、ということは建築に関するリテラシーが高まる。 といった具合に、建築が建ったあとの建築行為につながるのではないかと感じます。
日常には計画が溢れています。 一例として家計簿も計画、友人との約束事も計画。 計画することのハードルを下げ、建築に転用することで建築行為が建築家ー工務店の工事契約関係から逃れられるのではと思います。
その際、重要になるのが「クレジット」の扱いです。家計簿も誰かとの約束事も、もし損害や不履行が出た時の責任はもちろん当人にあります。 すこし過激な提案ですがやはり、建築主にリスクを明示し、納得してもらった上で工事を進める。という方法が1つあると思います。
工事契約ではなくサポート契約たる専門家の関わりかたがあるのではないかと。 建築を日常化するためには色々と難がありますね。笑
これまで、設計にはこれだけのものが必要で、こういった契約を交わしてといった設計の雛形がありました。しかしそれはあくまで事実上竣工での打ち切りを余儀なくされる計画であり、建設量の減少から設計者として、施工者としての関与は無くなっていきます。 建築の計画とは今や、以前の建設量のある時代の計画とは性質が異なり関与するより良い仕組みに変容して然るべきです。
そこで、今回は「計画のつくりかた」を議題に挙げたいと思います。
総意を伺うに当たって仕組み=計画の必要性とそのつくりかたという切り口で建築行為が最大化(日常化)する結論を導けたらと思っています。
「建築行為で日常を作る」とは誰にとっての建築行為であり、日常であるのか、ここでは仮に定義しておいた方が良いと思いました。 なので、建築が建ったあとの建築行為についての重要性に絞ってその可能性を論じたいと思っています。
それはリノベーションでもそうだし、住宅を新築して、どうやって付き合っていくかという話でもあります。 今、すでに住宅があるとしてその後の計画のつくりかたです。
30年後にも継続されるであろう強度のある計画論にできればと思っています
みなさま、パラレルセッションが終わりグループ10の記事に関して恐縮ながら以下の論点で建築行為を論じたいと思っています。1人で論じるよりも飛距離のある新たな可能性を見てみたいと思い、総意を以って出来るだけ多方面からの執筆となれば幸いです。 取り急ぎ執筆テーマを↑のように考えて、設計行為の前提にある計画のつくりかたを考えることで、日常に建築が関わる余地を作るためのアイデアを捻り出したいと考えています。 これといった決まり事はありませんので、僕も放言させてもらいますが、頂いたコメントから摘んで掲載文を纏められたら。と思っていますのでどうぞ宜しくお願いします。
みなさま
おつかれさまです。 ship architecture中村・藤井です。
水野さんのご意見、たいへん興味深く拝読しました。 「建築100年法」という前提はキャッチーでわかりやすいので、未来に向けて建築がどのように変わっていくのか全員が同時に考えるには良かったかなと思います。 しかし、わたしたちのような建築に従事する者が、ある未来像を提示するときにこのようなネガティブな前提でよいのか・・?という趣旨だと受け取りました。
あすは「建築100年法」というのはひとまず置いておいて、 前回共有できた現状の問題(つくり手の減少・建築への非日常感、他人事感)に対して、改めてどんなアプローチが考えられるか、それぞれのフィールドから発言できるといいのではと思います。 いよいよ本格的にポスト近代に突入して、これまでの近代建築とは本質的にまったく違う、新しい建築像がうまれてくるはずです。 前回のセッションでは、「誰がどのようにつくるのか(ものづくりスキルの底上げ)」というところまでしか議論できていなかったので、「どのように維持するのか(コミュニティ)」「どのような所有のかたちがあるのか」「どのような設計要件が出てくるのか」などなど、多方向からアイデアが出てくるようなセッションになれば面白いなと思っています。
それらを眺めたときに、「30年後はこんな風にポジティブに変わっている!」と、結論として言えればいいのではないでしょうか。 最終的には、いまは想像できていないような未来像にたどりつけるといいなあ・・!
P.S. 明日ですが、中村・藤井ともに 15:00には間にあいそうにありません。なるべく急いで向かいます。申し訳ありませんが、よろしくおねがいします。
グループ10の水野太史です。 これまでのディスカッションの文面や前回のアウトプットを辿りながら、 人々のものづくりのリテラシーやスキルの底上げをして「建築に愛着・透明性を!」という理念には大いに共感していますが、 「建築100年法」というものに、大きな違和感と危機感を抱きました。
前回のセッション00に参加していないにも関わらず僭越ではありますが、 どうしても「建築100年法」というものを今回のプロジェクションのテーマの根幹に据えることに抵抗があり、以下の通り意見を述べさせていただきます。
第一に、法律で自由を規制し、人々の活動に制限をかけるような物事の導きかたは、できる限り避けたいことだと考えます。そのような制度に対して、建築家やデザイナーこそは、より自由で豊かな未来を築くための実効的・創造的な提案をもって抵抗するべきではないでしょうか。
グループ10のみなさんも「建築100年法」を望んでいる訳ではないと思います。 おそらく議論の中で「建築100年法」というものが出てきたのは、ある種最悪のシナリオを設定してその仮定のもとに何ができるかという危機管理のシミュレーションということだと思うのですが、その「建築100年法」なる前提を受け入れての議論が、日本建築学会という権威のある場所で80年代生まれの我々の総意として発表され、それが力学となって未来を少しでも「建築100年法」に近づける可能性を持つということに、危機感を強く感じました。
「建設従事者の人材不足」「資源の枯渇」に対する解答としては、「建築100年法」ではなくてもいいはずで、「建設従事者の人材不足」に対しては例えばロボットスーツやデジタルファブリケーションの実用化により、少人数でもより効率的に作業できるようになるでしょうし、「資源の枯渇」に対しては徹底的に分別しリサイクルすることや、非枯渇性資源である木材などの植物資源の循環活用などが挙げられます(地方で暮らしていると植物の成長・生命力には圧倒されます)が、他にも良い制度設計やテクノロジーによって解決するアイデアはたくさんあると思いますし、それらの議論を展開させることのほうが、未来に投げる(プロジェクションする)議論としてはより有意義なのではないでしょうか。
そもそも十把一絡げに建築は100年使うべきというのも疑問です。スクラップアンドビルドの何が悪いかと言えばやはりリサイクルできていないということに尽きるのではないでしょうか。欧米の建築寿命と日本の建築寿命を比べることは状況や環境が異なるからナンセンスで、昔の日本の家のように植物資源などの使用や規格により、リサイクルや移築や再利用が容易で、生活の変化にも対応しやすく、持続可能性があり循環しているのであれば、良いと思うのです。
また、人口減少自体も決して悪いことではなく(現在は団塊世代が高齢化していることでその年齢比率のバランスが悪く、そのため過渡期にはさまざまな問題があるとも言えます)、むしろこれまで人類は、人口増加や人口過密という大問題に応えるため、合理的に大量に物資や住宅や食料を供給するために、テクノロジーを発展させてきたともいえるでしょう。 哲学者の鞍田崇さんが、人口減少を従来のように「縮退」=shrinkとネガティブに表現するのではなく、「濃縮」としてポジティブに表現することを提唱されていますが、いよいよ人口減少がはじまった日本で、我々はこれまで先人達が築いてきたインフラやテクノロジーや空間を大きな資産として活用し、ようやく個々の人間の生活をより豊かに本質的に充実させることができる時代になったとも捉えられますし、そのような兆しは実際に現れてきていることだと思います。
前回のセッション00に参加していないにも関わらず、長文で失礼しましたが、「建築に愛着・透明性を!」「建築行為を日常化するための技術は何か?」について大いに活発に議論ができるといいなあと思っておりますので、どうぞよろしくお願いします。
みなさまおつかれさまです。先日水野さんとお話する機会があり、建築100年法に関する部分で少し話をしました。 僕個人的に水野さんが仰っていた内容⇒人口減少は縮小ではなく、濃縮である。 というポジティブな発言に共感しました。 建築100年法というディストピアに対する私達の答えは実社会に有益な提案になると思います。 しかし100年法という建築文化に対する制限を乗り越え得る設定が必要なのかもしれないとも思ったわけです。 とはいえ時間は限られています。笑 可能な限りパラレルな意見を参考にしたいので、水野さんのお話を伺えたらありがたいのですが!
まとめシートの写真これです! (見られるかな?) https://drive.google.com/file/d/0B-U3eeiznQdbSERJSk1idUhJX2c/view?usp=sharing
ありがとうございます〜!
簡潔にディスカッションの内容を纏めると ①グループ10のテーマ「建築行為を日常化する技術は何か」は議論の中で変化して「建築行為で日常をつくる仕組みとは何か」になったんでしたっけ? これに関しては柿木さんが図で纏めてくださってすごく分かり易かったんですが、僕画像がない…(すいませんがアップお願いできますか。。) ②30年後の未来を仮に設定して、その状況に向かってこれから何が出来るのか・何が語れるかを各々の立場で語るのがシンプルだという結論になりました。 昨日の参加者で設定した30年後は 「建築100年法の制定」 建設従事者の人材の不足や資源の枯渇を理由に2046年からは、既存建物を100年間維持する法案が可決・施行されます。 極端な話ですが、2046年には余程の理由がない限り新築できない状況になります。
フィクションでもなく、2016年現在ではあり得ないが社会情勢を読んで、30年後の状況を具体的に設定すると100年法に落ち着きました。この状況を前提に各々が語れるようにという意図が含まれています。
③DIYは建築で日常を作る仕組みの過渡期であり、近い将来Keep It Yourselfに発展する。
僕からは以上です。 纏まりのない決定事項の報告すが。笑 &画像全く持っていません…すいません。。 どなたか不備ありましたらお助けくださいー。
みなさま、昨日はおつかれさまでした。 はじめましてにも関わらずとても深度の深い議論で白熱でき、参加してよかったと。グループ10で良かったです。
このページを活用してアーカイブにすると何かと手間が省けるし、ゲストの方にもプロセスを理解して頂く上でゆうこうなのではと思いましたので、昨日の決定事項アップできればーと思います。
引き続きよろしくお願い申し上げます。
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日本建築学会 創立130周年記念 建築文化週間2016 特別企画 パラレル・プロジェクションズ
13 comments for “パラレルセッションズ10 – 建築行為を日常化するための技術は何か? –”
柿木さんありがとうございます!クレジットについての捉え方一つとっても広がりがありますね。
1つ投げかけてもよいでしょうか?
愛着と透明性を作ることで、日常において建築の維持管理や更新が意識化される。建築に対してのリテラシーが高まる。
意識をゆるやかに変えていくプロセスもとても魅力的ですが、建築が建ったあとの建築行為に関する部分のプロセスをもう少し話して頂けたらと思います。セッションでも出た”Keep It Yourself”の発想、具体的にどのようなことが起こりうるか可能性を探りたいです。
具体的に、となると、今自分がやっているプロジェクトをもとに主観的に記述することになってしまいますが、そこから逆にグループ10の議論全体に共通して言える何かが見つかれば良いなと思い書かせていただきます。
今私は富士吉田市でオフィスビルをホテルにコンバージョンする計画を進めております。
予算が潤沢にあるわけではないのですが、お施主さんがその地域ご出身の方で、周りに地域に根ざした作り手のお知り合いが多く、材料をある程度(=そんなに選択肢が用意されているわけではない)融通してくださり、施工してくださる、といった状況です。そこから集まってくる材料に形を与えて適材適所ハコモノ既存建築物に組み合わせていき、ハコモノのマッスなスケールを解体しながら内外に人の居場所をつくっていこうと考えています。
設計の手法として「集まって来るものを組み合わせていく」というスタンスは、新しい要素を受け入れる余地も見えますし、建築が分解されて捉え易くなるので修繕や更新を思考しやすくもなります。集まってくる材料にどのような形を与えて、それをどこに付け足していくかは設計が主導となってお施主さんと作り手の方と議論しながら進めます。
さらに、そうやってどんどんと組み合わせていく各「部分」ごとに「作り手のクレジット」を記載していこうと考えています。作り手を「下請け」という括りでブラックボックス化しがちな建築行為の体系を見直し、積極的に作り手の方々を表に出していくわけです。これは作り手のモチベーションアップ、広告効果、責任感=アフターケアの充実などにつながります。
(今回はお施主さんと作り手の方々は元々知り合いですが、そうでない状況であればそのつながりもできます)
これらのことによって、施主・施工・設計の各方面からの修繕や更新へのアプローチが生まれると考えています。
お施主さんの要望や設計者からの提案があって、地域の作り手の方々によって色々なものが足されていって、作り手側からもこんな材料や技術があるけど何か使えないか等と発信もあるでしょうし、これらの状況を見た他の作り手が新たにこの建築に参加してきてそれをきっかけにまた新しい別の要素が組み合わされていく可能性もあるので、どこが竣工なのかもよくわらかない状態になります。
竣工という断絶がなく、建て築くという行為が連続していく環境を用意するイメージです。
セッション00の時に出たKeep it yourselfは建築主自らが建築行為で日常をつくるといった内容でしたが、あれは未来の社会像を仮にディストピア(建築100年法)として設定したところからきているので、ここでは広い意味で「その建築に関わった人たち、また、これからその建築に関わる人たちが、その後の建築行為に主体的に携わり、修繕や更新を行っていくこと」と捉えています。
議論の口火を切って頂きありがとうございます!
「クレジット」は「その物事に主体的に関わる」ということだと思います。
施主、施工、設計など、建築に関わる人たちが皆主体的であればリスクを押し付け合うのではなく「リスクを共有できる」ので、それは新しい建築が生まれる可能性が高まるでしょうし、建築に愛着と透明性をもたらす効果は期待できますよね。
愛着、つまり、気にかけて大事にする、ということは日常において建築の維持管理や更新が意識化される。
透明性、つまり、建築の計画や仕組みや作り方が見える、ということは建築に関するリテラシーが高まる。
といった具合に、建築が建ったあとの建築行為につながるのではないかと感じます。
日常には計画が溢れています。
一例として家計簿も計画、友人との約束事も計画。
計画することのハードルを下げ、建築に転用することで建築行為が建築家ー工務店の工事契約関係から逃れられるのではと思います。
その際、重要になるのが「クレジット」の扱いです。家計簿も誰かとの約束事も、もし損害や不履行が出た時の責任はもちろん当人にあります。
すこし過激な提案ですがやはり、建築主にリスクを明示し、納得してもらった上で工事を進める。という方法が1つあると思います。
工事契約ではなくサポート契約たる専門家の関わりかたがあるのではないかと。
建築を日常化するためには色々と難がありますね。笑
これまで、設計にはこれだけのものが必要で、こういった契約を交わしてといった設計の雛形がありました。しかしそれはあくまで事実上竣工での打ち切りを余儀なくされる計画であり、建設量の減少から設計者として、施工者としての関与は無くなっていきます。
建築の計画とは今や、以前の建設量のある時代の計画とは性質が異なり関与するより良い仕組みに変容して然るべきです。
そこで、今回は「計画のつくりかた」を議題に挙げたいと思います。
総意を伺うに当たって仕組み=計画の必要性とそのつくりかたという切り口で建築行為が最大化(日常化)する結論を導けたらと思っています。
「建築行為で日常を作る」とは誰にとっての建築行為であり、日常であるのか、ここでは仮に定義しておいた方が良いと思いました。
なので、建築が建ったあとの建築行為についての重要性に絞ってその可能性を論じたいと思っています。
それはリノベーションでもそうだし、住宅を新築して、どうやって付き合っていくかという話でもあります。
今、すでに住宅があるとしてその後の計画のつくりかたです。
30年後にも継続されるであろう強度のある計画論にできればと思っています
みなさま、パラレルセッションが終わりグループ10の記事に関して恐縮ながら以下の論点で建築行為を論じたいと思っています。1人で論じるよりも飛距離のある新たな可能性を見てみたいと思い、総意を以って出来るだけ多方面からの執筆となれば幸いです。
取り急ぎ執筆テーマを↑のように考えて、設計行為の前提にある計画のつくりかたを考えることで、日常に建築が関わる余地を作るためのアイデアを捻り出したいと考えています。
これといった決まり事はありませんので、僕も放言させてもらいますが、頂いたコメントから摘んで掲載文を纏められたら。と思っていますのでどうぞ宜しくお願いします。
みなさま
おつかれさまです。
ship architecture中村・藤井です。
水野さんのご意見、たいへん興味深く拝読しました。
「建築100年法」という前提はキャッチーでわかりやすいので、未来に向けて建築がどのように変わっていくのか全員が同時に考えるには良かったかなと思います。
しかし、わたしたちのような建築に従事する者が、ある未来像を提示するときにこのようなネガティブな前提でよいのか・・?という趣旨だと受け取りました。
あすは「建築100年法」というのはひとまず置いておいて、
前回共有できた現状の問題(つくり手の減少・建築への非日常感、他人事感)に対して、改めてどんなアプローチが考えられるか、それぞれのフィールドから発言できるといいのではと思います。
いよいよ本格的にポスト近代に突入して、これまでの近代建築とは本質的にまったく違う、新しい建築像がうまれてくるはずです。
前回のセッションでは、「誰がどのようにつくるのか(ものづくりスキルの底上げ)」というところまでしか議論できていなかったので、「どのように維持するのか(コミュニティ)」「どのような所有のかたちがあるのか」「どのような設計要件が出てくるのか」などなど、多方向からアイデアが出てくるようなセッションになれば面白いなと思っています。
それらを眺めたときに、「30年後はこんな風にポジティブに変わっている!」と、結論として言えればいいのではないでしょうか。
最終的には、いまは想像できていないような未来像にたどりつけるといいなあ・・!
P.S. 明日ですが、中村・藤井ともに 15:00には間にあいそうにありません。なるべく急いで向かいます。申し訳ありませんが、よろしくおねがいします。
みなさま
グループ10の水野太史です。
これまでのディスカッションの文面や前回のアウトプットを辿りながら、
人々のものづくりのリテラシーやスキルの底上げをして「建築に愛着・透明性を!」という理念には大いに共感していますが、
「建築100年法」というものに、大きな違和感と危機感を抱きました。
前回のセッション00に参加していないにも関わらず僭越ではありますが、
どうしても「建築100年法」というものを今回のプロジェクションのテーマの根幹に据えることに抵抗があり、以下の通り意見を述べさせていただきます。
第一に、法律で自由を規制し、人々の活動に制限をかけるような物事の導きかたは、できる限り避けたいことだと考えます。そのような制度に対して、建築家やデザイナーこそは、より自由で豊かな未来を築くための実効的・創造的な提案をもって抵抗するべきではないでしょうか。
グループ10のみなさんも「建築100年法」を望んでいる訳ではないと思います。
おそらく議論の中で「建築100年法」というものが出てきたのは、ある種最悪のシナリオを設定してその仮定のもとに何ができるかという危機管理のシミュレーションということだと思うのですが、その「建築100年法」なる前提を受け入れての議論が、日本建築学会という権威のある場所で80年代生まれの我々の総意として発表され、それが力学となって未来を少しでも「建築100年法」に近づける可能性を持つということに、危機感を強く感じました。
「建設従事者の人材不足」「資源の枯渇」に対する解答としては、「建築100年法」ではなくてもいいはずで、「建設従事者の人材不足」に対しては例えばロボットスーツやデジタルファブリケーションの実用化により、少人数でもより効率的に作業できるようになるでしょうし、「資源の枯渇」に対しては徹底的に分別しリサイクルすることや、非枯渇性資源である木材などの植物資源の循環活用などが挙げられます(地方で暮らしていると植物の成長・生命力には圧倒されます)が、他にも良い制度設計やテクノロジーによって解決するアイデアはたくさんあると思いますし、それらの議論を展開させることのほうが、未来に投げる(プロジェクションする)議論としてはより有意義なのではないでしょうか。
そもそも十把一絡げに建築は100年使うべきというのも疑問です。スクラップアンドビルドの何が悪いかと言えばやはりリサイクルできていないということに尽きるのではないでしょうか。欧米の建築寿命と日本の建築寿命を比べることは状況や環境が異なるからナンセンスで、昔の日本の家のように植物資源などの使用や規格により、リサイクルや移築や再利用が容易で、生活の変化にも対応しやすく、持続可能性があり循環しているのであれば、良いと思うのです。
また、人口減少自体も決して悪いことではなく(現在は団塊世代が高齢化していることでその年齢比率のバランスが悪く、そのため過渡期にはさまざまな問題があるとも言えます)、むしろこれまで人類は、人口増加や人口過密という大問題に応えるため、合理的に大量に物資や住宅や食料を供給するために、テクノロジーを発展させてきたともいえるでしょう。
哲学者の鞍田崇さんが、人口減少を従来のように「縮退」=shrinkとネガティブに表現するのではなく、「濃縮」としてポジティブに表現することを提唱されていますが、いよいよ人口減少がはじまった日本で、我々はこれまで先人達が築いてきたインフラやテクノロジーや空間を大きな資産として活用し、ようやく個々の人間の生活をより豊かに本質的に充実させることができる時代になったとも捉えられますし、そのような兆しは実際に現れてきていることだと思います。
前回のセッション00に参加していないにも関わらず、長文で失礼しましたが、「建築に愛着・透明性を!」「建築行為を日常化するための技術は何か?」について大いに活発に議論ができるといいなあと思っておりますので、どうぞよろしくお願いします。
みなさまおつかれさまです。先日水野さんとお話する機会があり、建築100年法に関する部分で少し話をしました。
僕個人的に水野さんが仰っていた内容⇒人口減少は縮小ではなく、濃縮である。
というポジティブな発言に共感しました。
建築100年法というディストピアに対する私達の答えは実社会に有益な提案になると思います。
しかし100年法という建築文化に対する制限を乗り越え得る設定が必要なのかもしれないとも思ったわけです。
とはいえ時間は限られています。笑
可能な限りパラレルな意見を参考にしたいので、水野さんのお話を伺えたらありがたいのですが!
まとめシートの写真これです!
(見られるかな?)
https://drive.google.com/file/d/0B-U3eeiznQdbSERJSk1idUhJX2c/view?usp=sharing
ありがとうございます〜!
簡潔にディスカッションの内容を纏めると
①グループ10のテーマ「建築行為を日常化する技術は何か」は議論の中で変化して「建築行為で日常をつくる仕組みとは何か」になったんでしたっけ?
これに関しては柿木さんが図で纏めてくださってすごく分かり易かったんですが、僕画像がない…(すいませんがアップお願いできますか。。)
②30年後の未来を仮に設定して、その状況に向かってこれから何が出来るのか・何が語れるかを各々の立場で語るのがシンプルだという結論になりました。
昨日の参加者で設定した30年後は
「建築100年法の制定」
建設従事者の人材の不足や資源の枯渇を理由に2046年からは、既存建物を100年間維持する法案が可決・施行されます。
極端な話ですが、2046年には余程の理由がない限り新築できない状況になります。
フィクションでもなく、2016年現在ではあり得ないが社会情勢を読んで、30年後の状況を具体的に設定すると100年法に落ち着きました。この状況を前提に各々が語れるようにという意図が含まれています。
③DIYは建築で日常を作る仕組みの過渡期であり、近い将来Keep It Yourselfに発展する。
僕からは以上です。
纏まりのない決定事項の報告すが。笑
&画像全く持っていません…すいません。。
どなたか不備ありましたらお助けくださいー。
みなさま、昨日はおつかれさまでした。
はじめましてにも関わらずとても深度の深い議論で白熱でき、参加してよかったと。グループ10で良かったです。
このページを活用してアーカイブにすると何かと手間が省けるし、ゲストの方にもプロセスを理解して頂く上でゆうこうなのではと思いましたので、昨日の決定事項アップできればーと思います。
引き続きよろしくお願い申し上げます。