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物活論

物活論(hylozoism)とはモノが生きているとみなす立場である。その素朴な形態はアニミズムという過去には広く人類に共有されていた世界観である。デカルト以降、モノを法則に受動的に従うのみの死物として扱う機械論(mechanism)が科学的な世界観として広がった。私はいま再び物活論を再興し、それに基づいて建築をしたい。物活論的な世界観を提供する思想として私が注目するのは、たとえば、B. キャリコットの環境倫理、B. ラトゥールのアクター・ネットワーク・セオリー(actor network theory)、思弁的実在論(特にオブジェクト志向存在論)、C. アレグザンダーの建築論とそれに影響を及ぼしたA. N. ホワイトヘッドの形而上学、そしてオートポイエーシス論(あるいはセカンドオーダー・サイバネティクス)などがある。

山口 純

立命館大学
専門分野|計画
活動地|京都
生まれ|1983

[現在のプロジェクト]
 設計とは、人間の目的のための手段としてモノを合理的に構成することであると見なされている。これを「人間中心主義」(anthropocentrism)的な設計論と呼ぶことができる。私はこの人間中心主義的な設計の見方に何か息苦しさを感じる。
 私のプロジェクトの主題は、モノが生きているとしたら設計とは何でありうるか、である。モノが何らかの意識、経験、能動性、そして自律性を持つとしたら設計とは何であるか。モノが生きているとする見方を「物活論」(hylozoism)と呼ぶ。私のプロジェクトの目的は人間中心主義的な設計論が一面的なものに過ぎないことを指摘し、非—人間中心主義的で物活論に沿った設計論の方向性を提示することである。物活論的設計論とは、モノを一方的にコントロールするのではなく、モノが人間の意図を逸脱することを受け入れ、むしろそれを楽しみ、モノに寄り添って行こうとする設計論である。この物活論的設計論を、哲学者C. S. パースの記号論をベースに構築しようと考えている。
2016材料地域資源空間性

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