2017/3/22

「あらかじめ失われた世代がつくる、新しい社会と建築の風景」|馬場正尊|Open A代表

2016
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“競争によってではなく、協働で切り拓く風景。その山に複数の方向から、さまざまな手法で、多彩な道具を使って登ろうとしている、そんな風景がイメージできた”

 

2日目

1980年代生まれの彼らは、物心ついたときにはバブルが崩壊しており、低成長とデフレしか知らない。1995年の阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件と、相次ぐ出来事を小中学生の頃に目の当たりにする。自分たちを取り巻く社会秩序は案外脆弱で、一瞬にして崩れる可能性があると否応なく感じることになった。

高校や大学の時にリーマンショックが起きて就職環境は最悪。安定しているように見えた大企業でも、簡単に吹っ飛ぶことを目の当たりにする。経済環境が好転する気配さえ感じられない。

そんな状況でなんとか社会人になり、目の前の仕事に没頭している頃に東日本大震災が起こり、建築の目的やアイデンティティが激しく揺さぶられる。自分は何のために表現をしているのか、誰のための建築なのか。改めてそれと向き合うことを余儀なくされた。

近代の戦後日本が培ってきた社会が少しずつ疑わしくなり、今までの方法では通用しないことが明らかになっていくプロセス。「失われた20年」と呼ばれる時代そのものが彼らの成長期と重なっている。

同時にインターネットが普及し、学生の時から携帯電話を手にしていた、生粋のネットジェネレーションだ。個人が大きな組織と対等に情報を発信し、それが社会的インパクトをもたらすことを知っている世代である。
それが分かってしまうと、建築業界の中で自分のポジションを確保する手法も多様化する。かつては大文字の建築家の像がはっきりしていて、そこに向かうルートも山の下から見えていた。それを踏み外さないように確実に登っていけば、あるところまで到達できるような気がしていた。しかし、現在その道は見えない。彼らは荒れた道を自分たちで切り拓いていくしかない。競争によってではなく、協働で切り拓く風景。その山に複数の方向から、さまざまな手法で、多彩な道具を使って登ろうとしている、そんな風景がイメージできた。

 設計と施工の境界があいまいになり、計画的ではなく工作的に建築をつくる。拠点を定めず、仕事があるところに軽やかに、ノマディックに移動する。スカイプをつなぎっぱなしにして、アジアやヨーロッパ、遠隔でプロジェクトを進めることを楽しんでいる。流通や運営のプラットフォームを構築すること自体を建築表現であると捉えている。大きな組織に属しながらも、個人が比較的自由に活動できる。企業もそれに寛容になっている。組織や雇用の不確定性が高くなる分、自由度は増すかもしれない。

おそらくこれからの10年を見ただけでも、建築をめぐる状況はさらに変化のスピードを増すだろう。彼らは(もちろんそこには自分も含まれているのだが)それに対応してくこととなる。対応しきれない人間には自然と仕事がなくなっていく。

新たな公共建築が建てられる機会はぐっと少なくなる。あったとしてもPFIやPPPといった公民連携型にシフトすることが多くなり、建設コストに対する要求もシビアになる。また、東日本大震災の復興を期に、デザインビルドが多く採用されるようになり、設計施工分離の原則が壊れようとしている。設計者はより厳しい条件の中で工夫することが求められる。この状況の中で僕らはどのように振る舞うのが適切なのだろうか。

今回の展示でも多かったリノベーションの仕事は増えていくだろう。低成長の時代に費用対効果の合理性を求められるのは当たり前だが、今の30代はコストが極端に立てられないことを楽しんでいるようにも見える。小さなプロジェクトでは設計施工一体による、工作的な作品も多かった。それらは今までの建築的美学から見ると美しいとは言い難いのかもしれないが、アレハンドロ・アラヴェナがプリツカー賞を、Assembleがターナー賞を獲得する時代だ。僕らの美しさに対する概念自体がひっくり返る可能性だってある。

 

まだまだ方法論を模索している段階だ。雑多に平行に、様々なトライアルを行うしかない。しかしその中で必ず、状況に風穴を開けるやつが出てくる。その繰り返しで新しい転換は生まれてきた。

パラレルプロジェクションズに展示されていた作品や、その場所で語られた言葉、そして彼らの活動から見えてきたのは、この世の新しい建築のパラダイムだった。
表現手段や言説は百花繚乱、時代の集合知。したたかに淡々と、状況を素直に受け止め、この時代の中でサバイブしていく具体的な手法が提示されていた。その世界観はなんとなく楽観的で、成長しない社会を受け止めるタフさのようなものを感じた。あらかじめ失われた世代がつくる新しい社会と建築の風景。その一端を垣間見たような展覧会とディスカッションだった。

  

馬場2

馬場正尊|Open A代表
1968年佐賀県生まれ。1994年早稲田大学大学院建築学科修了。博報堂で博覧会やショールームの企画などに従事。その後、早稲田大学博士課程に復学。 雑誌『A』の編集長を経て、2003年OpenA Ltd.を設立。建築設計、都市計画、執筆などを行う。同時期に「東京R不動産」を始める。2008年より東北芸術工科大学准教授、2016年より同大学 教授。建築の近作として「観月橋団地(2012)、「道頓堀角座」(2013)、「佐賀県柳町歴史地区再生」(2015)など。近著は『PUBLIC DESIGN 新しい公共空間のつくりかた』(学芸出版,2015)、『エリアリノベーション 変化の構造とローカライズ』(学芸出版,2016)

(写真:千葉正人)

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