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「丸腰で身を挺すること」青木淳|青木淳建築計画事務所主宰

この場合には、最初はいつもと同じと見えたナカミが、そこで生きることで次第に変わっていって、
いつしかナカミもろともウツワが変わる、と言った方がいいかもしれない

3日目2

 

 ぼくが会場に行ったのは、最終日の10月10日のことで、展覧会と言うのでもなく、ラウンドテーブルと言うのでもない、その会場の見慣れない景色に、ほほうと思ったのだった。

 塗装型枠でつくられた正方形テーブルの島が、千鳥に並んでいる。その高さが絶妙で、立てば会場全景が見渡せ、段ボールを組んでできたスツールに座ると、四方を島に囲まれたブースのようになる。 その島のつくりもおもしろく、それは会場備品の長テーブルを積み重ね、上に塗装型枠を置いて天板とし、その天板の四周に蝶番を取り付け、そこから塗装型枠を吊ってエプロンとするというものだった。そうすることで展示ができる側面ができるだけでなく、天板を支える臓物を隠しつつ、縁に荷重がかかり、天板も安定する。材料の手配、搬入、組み立てを含め、とてもリーゾナブルな「箱」のつくり方になっている。

 島には、若干の展示物、というかファイルなどもあったから、自己紹介用の資料と言ったほうがずっと正確だろうけれど、が置いてあり、側面には、ホワイトボード代わりに、そこで話し合われたことの記録が、ポストイットで貼られていたり、直接、油性マジックで書かれていたりしていた。あちこちに立って資料を見ている人がいる。集まって、話しこんでいる人がいる。また、その場所で継続して、「パラレルセッション」が行われている。

 表彰式や講演会がよく行われるホールである。その中庭側のパーティションが開け放たれ、中庭からよく、会場の様子が見てとれる。逆方向で言えば、中庭にまで、参加者と観に来た人が、入り混じりあいながら、滲みだしている。同じウツワに、いつもとちょっと違うナカミが入ると、ウツワも変わって見える。

 ぼくが加わったパラレルセッションは最後の3つだった。そのなかに、「アーバンキャンププロジェクト」という活動をしている中島伸さんという方がいた(http://bunka.aij.or.jp/para-projections/1859/)。町はなにも、キャンプをする「ため」にはできていない。そこに、テントつまりポータブルな住まいを持ち込んで、その場所を居場所にする。つまり、パブリックな場所を、プライヴェートな場所として一時的に占有する。とはいえ、それは、中島さんによれば、閉じはしないらしい。「通常のキャンプと異なり、周囲の都市生活者に混ざり、自らがコミュニティを生み出し、またどこかのコミュニティの一部になるという体験」となる、と言っていた。これも、同じウツワに、いつもとちょっと違うナカミが入ると、ウツワも変わって見えることの例。

 今、ぼくらが生活している空間から、自然発生的に生まれた場所がどんどん消えている。生活に必要な水を汲んだり、使ったりするための井戸端が、自然発生的に、まわりの主婦たちの寄り合いの場所や、子供たちの遊び場になっていったようには、今の町は、できていない。代わって、目的が先に決められ、その目的にふさわしい空間がつくられている。

 しかも、その「ふさわしさ」の精度がもとめられている。説明なくとも、その目的が正確に読み取れる空間がいいとされる(「アフォーダンス」がデザインの分野で語られるとき、その根っこのところに、この価値観が含まれている)。その目的を満たすのに過不足ない空間が良しとされる(合理性、効率性、費用対効果などなど)。そうしてできあがる世界は、たしかに「至れり尽くせり」で、便利で、快適だ。しかし、それと引き換えに、ぼくたちはしばしば、ぼくたちの生の前に存在している枠組みによって、真綿で首を絞められていると感じてしまう。

 その見えない檻から逃れる。それはきわめて、建築的な行ないだ。

 なぜなら、檻として見えないにしても、それはつまりはぼくたちの現実だからだ。それは、ぼくたちのまわりの環境そのものであり、またぼくたち自身のなかにいつのまにか組み込まれてしまっている感覚であり、暗黙の判断基準である。ぼくたちは、それらをふだん、意識しない。それが「見えない」という言葉の意味だ。

 そして、その見えない檻からの逃れ先は、やはり現実である。けっして「虚空」ではない。つまり、逃れるとは、もうひとつの現実を具体的に構想することなのである。これは、かっこいい空間をつくる、というような狭義の「建築」を越えた、きわめて建築的な行ないである。

 今回、パラレルセッションに参加して、ぼくは、そういう意味での「建築」の行ないにおいて、2つの道があることを、改めて感じた。1つの道は、いまの現実への、まっこうからの批判という道である。そして、もう1つの道は、いまの現実の懐深く入って、そこから身を挺して、ということはつまり、自分自身もその行ないのなかで変わりながら、ということだけれど、目の前の現実がほかの現実に変容することを見きわめていくという道である。言うまでもなく、今回、話を聞けた人たちの多くに共有されていたのは、後者の道を歩もうとする感覚だった。

 これも、同じウツワに、いつもとちょっと違うナカミが入ると、ウツワも変わって見えることの例である。いや、この場合には、最初はいつもと同じと見えたナカミが、そこで生きることで次第に変わっていって、いつしかナカミもろともウツワが変わる、と言った方がいいかもしれない。

ともかく、現実に対するこの「丸腰」の姿勢は、抽象的な言葉を具体なところにまで引きおろし捉え直す、しなやかな感性を必要とする。

 たとえば、「記憶」という抽象的な言葉をめぐって、議論されていたのがパラレルセッション12だった。印象的だったのは、そこで生きてきた人たちに、ただかつて起きた出来事を聞いてみた、と話しはじめた人がいたことだ。冨永美保さんである。彼女はそこから、ただ、その場所をちゃんと人間のいる場所にしようとした。その話には、「記憶」という言葉がまるで出てこない。出来事を聞くことと、ウツワをつくること。この2つの段階には、論理的に言って、飛躍がある。だから、リサーチとその結果としてのウツワがつながる場合もあるし、ない場合もある。(http://bunka.aij.or.jp/para-projections/1779/

 それはそれでしかたがない。そう語るとき、「建築」はつなぐことから、どうつなげることができるかを試し考えることに変わってしまっている。「建築」が、設計という行為のなかに身を置くことそのものに変わってしまっている。「記憶」というような大雑把な言葉から、上から目線で考えると、こうはいかない。今、ぼくたちは、目の前にある現実をまず受け入れ、そこで生きることから始めるしかないのである。

 中島伸さんのアーバンキャンプにも、そんなしなやかな感性があった。講演用ホールを話し合いの場に変容させたこの会場のつくり方にも、そんなしなやかな感性があったことに、思い当たった。

青木

青木淳|青木淳建築計画事務所主宰

1956年横浜市生まれ。82年東京大学大学院修士課程修了。83年~90年磯崎新アトリエに勤務後、91年に青木淳建築計画事務所を設立。個人住宅をは じめ、公共建築から商業建築まで、多方面で活躍。2004年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。代表作に「馬見原橋」、「潟博物館」、「ルイ・ヴィトン表 参道」、「青森県立美術館」、「大宮前体育館」、「三次市民ホールきりり」等。著書「JUN AOKI COMPLETE WORKS 1:1991-2004」「同第2巻:Aomori Museum of Art」、「同第3巻:2005-2014」、「原っぱと遊園地」、「原っぱと遊園地2」「青木淳 ノートブック」他。

2016

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