Session05 – 現在のまち並みを成熟させていくために必要な計画は何か? –

2016 景観更新最適化歴史認識環境

日時:2016/10/8 18:00~19:00
会場:建築会館ホール、他
テーマ:現在のまち並みを成熟させていくために必要な計画は何か?
ゲストコメンテーター:山梨知彦|日建設計、饗庭伸|首都大学東京
登壇者:藤 貴彰、竹内優二、畠山鉄生、大野暁彦、藤平真一、四方謙一、山﨑和宏、加藤寛之、吉田泰洋、堀越優希、森 亨介


 

【応答文】
調和の中にある特異性
(藤 貴彰)

私は2016年の「現在のまち並みを成熟させていくために必要な計画は何か?」というセッションに参加させて頂いた。とても難解なテーマで、特に「必要な計画」という言葉に引きずられたこともあり、形式の議論からなかなか抜け出せずに期間内にうまく着地仕切れなかった記憶がある。当時の私からの提言として「Specificity in Harmony」という言葉を、設計中だった建物のパースやスケッチと共に掲げたのだが、これまでの自分の足跡から果たして何が言えるだろうかと悩んだ挙句、なんとか捻り出した言葉だった。

Specificity in Harmony

調和を図ることを追求した結果、調和そのものがその建物の特異性となるような設計を目指している。都市に対しては調和を図ることが当たり前とされ、いくつかのランドマークとなるようなプロジェクトは除いて、個々の建築は没個性的な建物の集まりとなる。もともとは個々の建築の集まりが都市のイメージをつくり上げたはずなのに、守るべき都市景観が、今度は建築をつまらなくしてしまうといった循環が生じている。一方でランドマークはその特異性のみが追求され、どれも都市になじまない建物ばかりだ。建築の設計において、新築であっても都市に対してのリノベーションをしているような感覚が大切ではないだろうか。
(2016年のアーカイブより)

5年を経た現在、パースやスケッチだったプロジェクトたちは無事竣工し(実施設計完了後に残念ながら白紙撤回となってしまったものもあるが)、「Specificity in Harmony」は今や私の設計思想・設計手法となっている。そのことについて、プロジェクトを通して考えたことを少し述べたい。

臺北南山廣場は、台北市に建つ272mの超高層ビルである。(fig.1、2016年のアーカイブでは一番左のパース)台湾一のランドマークである台北101に隣接する為、施主はもちろんのこと、台北市政府からも台北101と調和をすることを求められた。そこで超高層の形態を台北101の外形の斜めの角度を転写することで、足元が太く、上にいくほど細くなる形状とすることで視覚的な調和を図ることにした。他方、最初に現地を訪れた際に気になったのは台北101周辺の足元のビル風である。超高層ビルはその長大な壁面にぶつかった風がファサードを伝い、地表面まで吹き降ろすという現象が起こる。超高層直下の歩行快適性が失われていることが気になった。風というのは超高層ビルを設計する上ではすごく重要な要素で、構造は地震力ではなく、風圧力で決まることも多い。この場所の目に見えない風と調和することはできないかと考えるようになった。

環境シミュレーションをかけてみると、台北101の角度を転写した斜めのファサードは、足元の風環境の改善に大きく役立っていることがわかった。壁面が上方に窄まる様に斜めである為、壁面にぶつかった風の過半が空に向かって流れていく。平面形状については、矩形だと隅角部で風速が増加し、強風域が生じてしまう。シミュレーションで、四角、菱形、正多面体、円、といったいくつか単純な図形の解析をしてみると、辺の数が増えて円に近づくほど風の流れがスムーズになることがわかった。そこで内部の使い勝手との兼ね合いを検討し、変形八角形の現在の建物形状とした。超高層自体への風圧力の入力も減ることから、構造体の軽量化にも貢献している。これらの風との調和により、足元には心地よい微風が吹くようになった。

ここで得た気づきというのは、目に見えないものとの調和という視点である。臺北南山廣場は、都市を風の目で見た結果、風の調和が生まれ、それがこの超高層の特異性となり、まちの快適性にも貢献することができた。また、八角形の形態は、風水を重んじる台湾においては縁起の良い形であり、台湾の文化的側面との調和も図ることができたのではないかと考えている。台北101のラインを転写したこともあってか、竣工後にクライアントから「臺北南山廣場もはじめからここにあった気がします。それだけ風景や環境に馴染んでいる。」と言っていただけた。一番の褒め言葉である。

出窓の塔居は、臺北南山廣場で得た気づきをさらに拡張し、設計を行った。(fig.2、2016年のアーカイブでは一番右のスケッチ)敷地は都心部の住宅が密集した狭小地である。敷地を訪れた際に気づいたのは、敷地の角部に隣家の開口部が集積していることだった。通常狭小地だと、敷地境界から最低限のセットバックを行い、敷地形状なりに外形を立ち上げることが多い。ただ、それをしてしまうと、隣家の窓を塞ぐように建てることになってしまい、息苦しい思いをさせてしまう。隣家にも光と風は変わらず届けたい。そこで、光と風と調和する住居とすることを考えた。まず、敷地の四隅に面した隣家の開口部に計画建物が被らない様、建物の角を45度でカットし、敷地の角に空地を作り、隣家にも計画建物にも光が届くようにした。また、角を落とした結果として、偶然ではあるが臺北南山廣場と同様に平面が変形八角形となり、周囲の風がスムーズに流れるようになった。風がスムーズに流れるということは、窓を開け、窓辺に腰掛けると快適であるということだ。そこで、出窓の形式を利用し、各階全周に腰掛けたり、机にしたり、眠ったりと、様々な活動ができる居場所を作った。一方、窓辺は外気に一番近い場所なので、住居の内部で暑かったり寒かったり、熱環境が安定しない場所でもある。快適性を高める為に、通常の内断熱に加えて外断熱を行うことにした。断熱材+金属板仕上げも考えたが、光の反射や熱放射が隣家に及ぼす影響を考えると相応しくないように思えた。また、外部に使う物なので、自然環境との調和も考えたい。その結果、辿り着いたのが炭化コルクである。

コルクはコルク樫の樹皮を剥ぎ、生成されたものである。木自体を切ることはなく、9年経てばまた樹皮を採集できるようになる。炭化コルクは剥いだ樹皮を粉砕し、熱を加えてプレスすることで、樹皮から滲み出てくる樹液によって固まる。その為、余計な材料が生成工程で混ざり込むことはなく、程よい多孔質さと元の樹皮さながらのざらざらとした肌理は、100%コルクそのものである。つまり、人間以外の生物にとっては、コルク外装で覆われたこの建物は、コルク樫の大木と同義である。実際住み始めてみると、セミが羽化をしたり、カタツムリがくっついていたり、植物が自生したりと、他生物との調和・共生の場となっている。

日本では残念ながらコルク樫は気候帯の関係で自生できない為、樹皮からの炭化コルクの国内生産は難しい。止む無くコルクの世界一の産地であるポルトガルから輸入したが、なんとか国内生産できないかと、調査・研究を進めるうちに、代替できそうな樹木があることと、飲み終わったワインのコルク栓も洗浄し粉砕すれば、炭化コルクの材料として再利用できることがわかった。都市のゴミとなるコルク栓が、循環して外装としてまち並みの一員になるのである。まちにある資源のフローも一つの見えない調和の形ではないかと考える様になった。現在、コルク栓から生成した炭化コルクの国内生産に向けて、奔走している最中である。

「現在のまち並を成熟させていくために必要な計画は何か?」5年経過した今でも大変難しい問いである。ただ、今の私が答えるとすれば、現在のまち並みに当たり前に存在しているが、普段は見えない光や風、その場に居合わせる他生物、まちの資源をよく見ること、そしてそれらを一見気弱なほどに尊重し、調和を深く突き詰めていくことが、建築物の特異性となり、現在のまち並を成熟させるために必要な計画の一つになり得る、ということではないかと思っている。


藤 貴彰

1982年兵庫県生まれ/2007年早稲田大学大学院修了/2007年〜三菱地所設計、現在に至る/2012同社台湾駐在/2019年〜Takaaki Fuji+ Yuko Fuji Architecture 現在に至る。2005年早稲田大学卒業設計一位/2014年ランドスケープコンサルタンツ協会賞最優秀賞(新宿イーストサイドスクエア)/2020年グッドデザイン賞(出窓の塔居)/2021年CTBUH Award of Excellence(臺北南山廣場)など。環境シミュレーション・生物多様性・素材の循環を観点に、都市と建築の調和を様々な視点から検証し、調和を追い求めた結果がその建築物の特異性となる設計を志している。


 

【応答文2】
社会に再び像を結ぶ建築

(堀越優希)

2016年当時に考えていた、大きな風景を捉えるため「中景」を求めるという考えは今も変わらない。より大きなスケールへの意識を、どのようにして目の前の日常や小さな建築の仕事と結びつけることができるのかと考え、建築と絵の制作を続けている。2021年の今、特に身の回りの風景に対する意識は徐々に変わってきているように感じる。

コロナ禍は我々の行動を強制的に変え、身近な風景や空間に対する意識変容をもたらした。また、近年洪水や風倒木、土砂崩れといった自然災害が頻発していおり、力で抑えつけるだけでは根本的解決が難しい難問としてたち現れてきた。こうした出来事は、われわれの時代がいまだ制御可能な事象と制御不能な現象の狭間にあることを再認識させる。社会を駆動する価値観がゆらいだ時代において、建築という行為は広く瞬間的な共感をあつめるメディアとなるよりも、小さくても社会の価値に関する議論を可能とする土台を築いていくべきだろう。

風景の本質はその場所に関する一連の経験から、それぞれ個人の中で結ばれる像であり、スマホの画面に写る瞬間的な表層の情報に還元されるようなものではない。環境や、景観について見かけのイメージのみで語ると、それぞれの認識が噛み合わず議論が上滑りする可能性がある。SNS等による情報の奔流はそんな危険性をはらむ一方で、誰かが結んだ像が人々の現実の行動に作用する機会も増大させる。単にある場所の情報を得ることと、実際に訪れてから考えることの間にはとても大きな差がある。誰かにある場所を実際に訪れさせることができるならば、風景を議論するための出発点をつくったのだと言えるのかもしれない。風景について議論を深めるためには、その像を共有できるよう情報発信の方法を考えていく必要がある。

遠景、近景の間にある中景は、風景の中の相対的な領域である。現代の都市空間は、近景あるいは遠景に焦点を集中するあまり、中景への意識が失われている。中景の喪失は、近景と遠景がつながった大きな風景の喪失を意味する。中景がなければ遠近が連続する大きな「風景」は成立しない。例えば、歴史的な町並みとして人々に愛されるような空間は、その土地の自然と調和し、遠近の間に溶け込むスケール感が創出されている。中景の喪失は自然と人工の対立によるものではなく、風景を眼差す社会的な価値観の問題である。中景は具体的な場所を扱う建築にとって、スケールは小さくても社会的に対する大きな問を発することができるテーマだ。中景を求めるということは、自身が立つその場所で結んだ像を社会になげかける行為にほかならない。


堀越 優希
1985年生まれ、東京藝術大学大学院修了後、ji+a、YHAを経て現在、同大学助手、Yuki Horikoshi Architectural Design(YHAD)主宰

 

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