Session06 – 複数拠点での活動/暮らしを可能にする身体性と空間の関係とは? –

2016 地方場づくり海外移動

日時:2016/10/9 13:00〜14:00
会場:建築会館ホール、他
テーマ:複数拠点での活動/暮らしを可能にする身体性と空間の関係とは?
ゲストコメンテーター:馬場正尊|Open A、西田司|オンデザインパートナーズ

【登壇者】
細海 拓也、久米貴大+Chanvitan Wtanya、大室佑介、奥田浩輔・堀井達也・中尾彰宏・齋藤慶和
Koji Mototake、稲山貴則、木村慎弥、神谷勇机+石川翔一、和田 徹、関野一真、大山宗之

【応答文1】

ローカルで拡大する離散的な拠点のネットワーク
(神谷勇机)

2016年「複数拠点での活動/暮らしを可能にする身体性と空間の関係とは?」という投げかけで集められた11組は、物理的に複数の拠点をもつものや、I・Jターンなどで新たな拠点での活動を始めたもの、そもそも具体的な拠点を持たないものなど様々な活動と暮らしを持っていた。多様なバックグラウンドを持つもの同士の議論は、次第に「拠点」の定義に収束していった。その中で最終的に我々が導き出した提言は、「拠点」とは場所ではなく、人であるという考えである。人がいること(だけ)でどこにでも発信者と受信者が現れるので、これまでの「拠点」が特定の場所性を含んだ上での活動の集中する拠り所であるとすると、これからの「拠点」は、特定の場所性を含まず、人のつながりそのもののことだと我々は考えた。それを「離散的な拠点のネットワーク」と呼び、具体的な輪郭のないゆるやかなつながりがいたるところで生まれることで、新しい建築と空間を生む可能性を秘めていると締めくくった。そして、それは将来への展望も含んだ議論であり、2016年段階ではその片鱗が見え始めていたように思う。

その話し合いが行われた4年後に新型コロナウイルスの世界的な蔓延が起こり、世界がどのようになったかは周知の事実であろう。物理的な活動は一時的に休止し、具体的な複数拠点を持っていた人々はその維持や移動、活動までもが困難になった。それに付随するかのように2016年に我々が導き出した提言である人を中心とした「離散的な拠点のネットワーク」は拡大し、「遠隔」や「オンライン」と言われるような物理的つながりを飛び越えた関係性の構築が顕著になってきている。奇しくもコロナ前の提言が、その方法を具体化しながら加速度的に存在感を増してきているのだ。私の事務所でも2016年当時にアフリカですでに進行中であったプロジェクト「HC3 Harare Child Care Center」が一時中断したが、オンライン会議等を通じ、コロナ禍でありながらウェブ上でのクラウドファンディングの成功とともに新たなスタートを切っている。国内の協働者だけでなく、遠く離れたアフリカのローカルな建築家や積算士などとのやりとりも頻繁に行え、コロナ前よりも技術的なコミュニケーションがスムーズになったとさえ言えるかもしれない。また、「遠隔」や「オンライン」が情報リテラシーの高い層だけでなく、一般社会に浸透することで、クライアントとも以前にも増して活発なやりとりが行われ、関係性がより強固なものになっていく様を日々感じている。これらのネットワークにより、これまで複数拠点を持たなければ行えないと思われていた遠方のプロジェクトを当たり前のように密なコミュニケーションで進められ、新たな協力者とともに新たな建築が生まれる可能性に期待している。

しかし、「離散的な拠点のネットワーク」が拡大するとよいことばかりだろうか。2016年当時からそれが拡大すると帰属意識が薄れてしまい、新たな問題が生まれるのでは無いかと懸念していた。その回答は、これまで書いてきた新型コロナウイルス蔓延で起こったオンライン社会と対を成すように私たちの物理的拠点である愛知県刈谷市で起こりつつある。遠隔やオンラインにより、国内外問わず活動の範囲が広がり、対面では会ったことの無い人と関わる機会が圧倒的に増えたが、それと同時にローカルなオフラインの活動も広がりを見せているのだ。その理由に物理的拠点で過ごす身体的な時間の増加が挙げられる。コロナ禍でのオンラインで遠方とやりとりをしながらも移動の減少により、暮らしや身体が属している物理的拠点で過ごす時間はコロナ以前より増えており、その分同じコミュニティに属す近隣の人と話す時間が増えたのだ。

実は、「離散的な拠点のネットワーク」とは、どこまでも遠方へと構築されるものだと考えていたが、それ以上にオフラインで出会う人々にも適応できる概念ではないかと思い始めている。世界中に発信し、受信してくれる人がいるようにローカルにも発信することで受信してくれる人がいる。そこに距離やオンライン/オフラインは関係なく、どちらも活動する人がいることで「離散的な拠点のネットワーク」であると考える。つまり、新型コロナウイルス蔓延により、オンラインネットワークに対する抵抗が減少したことは、決してオフラインネットワークへの抵抗が増加したことでは無い。拠点を決めないことは、それを決めることの対義語では無いのだ。今だからこそ、真に距離や場所性に依存することのない「離散邸な拠点のネットワーク」の構築が必要であり、それがこれからの未来をしなやかに生き抜いていく手段なのだと考える。

神谷勇机
1986年愛知県生まれ。2009年三重大学工学部建築学科卒業。2010-2013年佐々木勝敏建築設計事務所。2014-2016年 ジンバブエ ハラレ技術工科専門学校講師(JICA/JOCV)。2014年より、1-1 Architects(イチノイチアーキテクツ) 共同主宰

 


 

【応答文2】

道具としての都市をなめす
(大山宗之)

当時参加したパラレルプロジェクションズ2016のトークセッションでは、「複数拠点での活動/暮らしを可能にする身体性と空間の関係とは?」をテーマに集まったメンバーで議論した。海外と日本を拠点として時差を活かして現場と意思決定をフル回転する者がいたり、事務所という固定の場(拠点)に囚われずフルリモートで設計する者など様々な働き方が垣間見えた。そして、国内外の2拠点生活や現場ごとの関係性の中から得た気づきなどから、平野啓一郎氏がいう”分人”を各人の中に生み出し、そこで得た経験や知恵から絶えず自身をアップデートしながら邁進し続ける躍動感を感じた。

当時の私は、転勤族によるまちづくりの取り組みについて発表した。日本の高度経済成長の勢いや田中角栄氏の『日本列島改造論』等の構想によって整備されたインフラにより、東北の玄関口として支店経済都市”仙台市”が形成されたことを、個人的研究と市民活動の実績として発表した。また、この取り組みを建築と関連させて整理するために、当時、建築界隈に流行し始めていたコミュニティ、シェア、ソーシャルなどから感じた空気感を菊竹清訓氏の「か・かた・かたち」に倣い、汎用性の手法「か・かし・かしか」と整理した。

「か」は任意にグループを結成したり地縁組織に加わることなどのコミュニティ、「かし」は貸し借りなどのシェア、「かしか」はそれまで見えなかった社会との繋がりを可視化するソーシャルを充てた。転勤族によるまちづくりで目指したのは、ヨソモノでも、気軽に活動したくなるような街の在り方を考えるためだった。それは、住み慣れた街で考えるよりも難しいが、転勤族が多い街でこそ、考える意味があることだと思ったからだった。

あれから5年以上が経ち、私は転勤族という動く者から、動かない行政へ転職した。ここで念のため伝えておきたいのは、動くから良い、動かないから悪いという二項対立ではないことは、強調しておきたい。動く者は、周辺環境が目まぐるしく変化することから、特徴や独自性が際立つ作家性が求められる。時間の流れを一度、堰き止めて正しい方へ導く。ときにはその場所にそれまでなかったモノを置いてみたり、そこにあったけど、使われていなかったモノを代替することもある。

一方で、動かない者は、その場所が培ってきた歴史や文化などに配慮しながら、いかに個の存在を消しながらも確実に前へ進めるというアーキテクトの素質が試される。時間の流れの中に身を置く。この両者はどちらかが有ればいいのではなく、どちらの存在も必要であり、ときには同じ人が双方を行き来しながらその役割を務める。

動く者、動かない者をふらふらと行き来しながら、最近、ゴーストアーキテクトという肩書きで活動し始めた。ゴーストアーキテクトは、作家のように固有の作品も無ければ、ビジネスのように収益事業でもない。ただそこにある社会とともに存在するだけである。共生していると言えば聞こえが良いが、巷を騒がせているウィルスのようで、ズルい存在だ。

しかし、そこから生まれた社会や空気感からは、それ以前と比べて自分の体の一部(身体感覚)のように当事者としての濃度がすこぶる高まり、目に見えない社会がより身近に感じられることにしっくりきている。ゴーストアーキテクトの存在は、形ではなく、目には見えないけれど確実に存在する空気感をつくるような振る舞いであり、動くほどに姿は消えていく。そして、意識すればいつでも見えるような、他者を介してのみ存在している。

そのゴーストアーキテクトの活動で生まれた空間の1つが、仙台市青葉区五橋にある資源循環型コンセプトスペース「tsugi」である。アパートをフルリノベーションした建物の1階部分に入居したプランニングラボラトリーが「tsugi」を運営している。私は、建物もフルリノベーションされ、つくりたい空間のテーマも資源循環なら、その空間に置かれる家具や什器も一貫してココにあるモノで作った方が、利用者も運営者も直感的にコンセプトが伝わると感じ、勝手にプレゼン資料をつくって各社に提案した。宮城県内の建築学生団体のチカラを借りつつ、知人の古民家から譲り受けた古材をDIYで什器を製作した。これがゴーストアーキテクトとしての処女作だが、メディアなどで名前が出る事はない。

そんな見え隠れする活動を続けながら、昨今は、公共空間の利活用が推進され、建築のみならず、道路や公園など公共空間を含めて市を一体的に使う、公民連携によるまちづくりを考える機会が増えた。中でも、行政と民間企業が連携して生まれた空間の1つとして、都市再開発事業の公共貢献(容積率緩和)で整備された「公開空地」の使い方に着目している。

仲間内での議論の中で、綺麗に整備されたが使われていない公共空間や、開かれた場であるはずの公開空地が心理的に閉鎖(通行を阻害するような設え)していることなどに疑問をもった。設計当時は、行政と民間事業者が納得して、実現したい姿があったはずだ。しかし、どの時点からどのような経緯でこうした残念な公共空間が生まれたのか気になった。そこで、令和3年度の仙台市クリエイティブプロジェクト事業に応募し、採択を受けて整理することになった。

ロールモデルとして行政と民間事業者が協議して生まれたことが視覚的にもわかりやすい「公開空地」を対象とした。公開空地は、その名のとおり、地域に開かれた場であるはずだが、相反して心理的に近寄ることを拒んでいるような設えの公開空地も多い。そうした心理的にも利用しにくく、物理的にも利用者を拒むようなデザインで作られている残念な公開空地を「後悔空地」(造語)と名付けた。

制度面では、市内の公開空地整備の変遷や制度改正を整理する。また、デザイン面(利活用や設え)では、既存の公開空地の利活用を促進しつつ、不動産価値をあげるような設えの在り方を検討している。こうした在り方を整理することで既存の不動産価値やこれから未来に渡って整備される建築の1階部分のデザインに活かされることを目指している。後悔は、先に立たない。だからこそ、未だ存在しない建築のために、今ある空間の使い方や設えを考える思考を「未満建築」と呼んでいる。

「未満建築」の根幹は、空間を使うことから始める。そこで、鷲田清一氏の『つかふ 使用論ノート』を参照した。本書では、道具が手に馴染むまでの考察が綴られていた。例えば杖は、最初は手元に意識がいくが、手に馴染むと、杖の先に意識がいくようになり、杖が身体の一部として認識するようになる。そんな風に、道具として生活の中に存在する都市や建築について考えながら、未満建築を探究していく。

道具の中でも、真新しい皮革製品は、革が固くて実用性に乏しく、馴染むまでには時間がかかる。使わなければ美しいが、いつまで経っても飾り物である。だから時々棚から下ろして、少しずつ使って革を柔らかくして、使ったら手入れをして戻す。そうやって皮革製品のように、都市や建築も誰もが気軽に触れることができ、いつでも鞣す(なめす)存在であることが必要だと思う。

長々と書いたが、各個人の興味や好奇心から始まった取り組みの集合体の先に、面白くてつい参加したくなる都市の姿があるのではないかと思う。その先に、複数拠点で活躍する動く者達の遊び心をくすぐり、何度も訪れたくなり、居心地が良く、誰もが歩きたくなる街路が生まれる。そう遠くない未来の姿として想像している。

2016年当時のパラレルプロジェクションズでトークセッションのメンバーと別れ際に交わした合言葉は「keep in touch!」。この言葉を胸に、また会える日を楽しみにしながら、これからもチャレンジを続けていきたい。

大山 宗之
1988年生まれ、東洋大学大学院修了後、建設コンサルタント会社へ入社。2018年に転職して仙台市役所に入庁。ゴーストアーキテクト、せんだいリノベーションまちづくり実行委員会公務員タスクフォース、未満建築メンバー、JIA離散的アーバニズム論[若手奨励]特別研究委員会委員」

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