Session07 – まちや建築についてのリテラシーを育む建築教育とは? –

2016 マネジメント中心市街地場づくり教育

日時:2016/10/9  14:15〜15:15
会場:建築会館ホール、他
テーマ:まちや建築についてのリテラシーを育む建築教育とは?
ゲストコメンテーター:馬場正尊|Open A、西田司|オンデザインパートナーズ
登壇者:又吉重太、前田健太郎、岸 佑、平本知樹、戸高仁人、川井 操、わ会(牧野恭久、濱田政和、岩ヶ谷充、五十嵐一博、安藤美香)、小泉瑛一、友渕貴之、下田元毅+宮崎篤徳


 

【応答文1】
協働 対話 共感
(又吉重太)

2016年、31歳だった。
7月、ポケモンGOが大流行。
8月、SMAPの解散が発表され、
9月、広島は25年ぶりのリーグ優勝でわいた。
10月1日、東京都港区建築会館。
建築教育を受けた80年代生まれの130人が全国から集まり、13のテーマに分かれて対話を深めた。セッション07のテーマは「まちや建築についてのリテラシーを育む建築教育とは?」。

4時間の「対話」のち、「設計者にとどまらず、都市空間と人びとの間をつなぐ専門家の育成」と、「専門家と非専門家が技術と知恵を交換する場」の2つの枠組みが必要になるというまとめで時間切れとなった。
このテーマについて改めて振り返りたい。

そもそも「リテラシー」とは何か
リテラシー(Literacy)はもともと識字能力を意味する語だが、「ITリテラシー」「金融リテラシー」のように、現代では特定分野の知識や応用力を意味する。例えば総務省HPでは「メディアリテラシー」を、①主体的に読み解く能力、②アクセスし活用する能力、③メディアを通じて相互作用的にコミュニケーションする能力の3点を構成要素とする複合的な能力としている[1]。リテラシーの頭に何を置くかによって細かな点は変わってくるが、概ね「理解し使いこなす能力」ととらえて間違いないだろう。では、まちや建築を「理解し使いこなす能力」を育む、とは何か?

誰もがまちや建築を使いこなしている
育むもなにも、ホームセンターには壁紙から建材までそろい、工作室まである。公園にはポップアップテントが並び、スケーターは街なかの階段やガードレール、ベンチを使いメイクしている。既にまちや建築はそれぞれの「住民」「市民」により理解され使いこなされている。使いこなす、とまではいわなくとも、それぞれが暮らしの当事者として、まちや建築と関わり生きている。その関わり方に問題があれば(または問題を未然に防ぐために)、禁止看板が増え調整される。そのようなシステムとして社会はある。では、既に使いこなされたまちや建築を前に建築教育・建築家とはどうあるべきか?

合意形成と協働の実践を促す建築家像
参考にしたいのがタウンアーキテクト、コミュニティ・アーキテクトというあり方である。
布野修司は、「建築家」は「王様」のように威張っているが、実は何も身に着けていない「裸の王様」のようだとしながら、「建築家の居る場所」を地域に見出し、それぞれのまちのまちづくりに様々な形で関わる「まちづくりの仕掛け人」である「タウンアーキテクト」というあり方を示した[2]

その職能は地域の景観や物的計画に関わるもので、「議論する場を恒常的に維持」「公共建築の設計者選定について、その選定方法を提案」「ワークショップなど様々な仕組みを組織」「定常的に町のあり方を考えるヴォランティアを組織」など、あるまちに継続的に関わり、合意形成あるいは協働の実践を促すことが主な役割としてあげられている。タウンアーキテクトの仕事を包括し、より広範に地域住民の生活の全体に関わる職能がコミュニティ・アーキテクトである。

どちらも「アーキテクト」とついているのは、「「建築家」は複雑な諸条件をひとつの空間やイメージにまとめ上げる能力にすぐれている。あるいはそういうトレーニングを積んでいる」ためだ、という。実際、タクティカルアーバニズムの実践とこのなかでの建築家の立ち振舞いを見ると、「神のごとき万能な造物主」ではない、合意形成と協働の実践を促す建築家のあり方が具体的にイメージされる。では、どのように合意形成と協働の実践を促すのか?

対話による構築
合意形成と協働の実践を促す手法として「対話」は有効な手段だろう。近年、アクティブラーニングやオープンダイアローグ、対話型組織開発など、対話により世界の認識のあり方を見直し、新たな価値を創造するアプローチが分野を超えて見られる。その土台にあるのは「ソーシャル・コンストラクショニズム」と言われる理論志向である。

「コンストラクショニズムconstructionism」については、「構築主義か構造主義か、という用語法には、日本語圏ではまだ決着がついていない[3]」とされるが、「本質主義対構築主義の用語法はほぼ定着しており、本質主義は、デリダをはじめとするポスト構造主義者が批判してやまない当のもの[4]」とされる。コンストラクショニズムとは、平たくいえば、現実の出来事や物事の意味を、客観的で科学的なものではなく、当事者間によりつくあげるものとしてとらえる考えである。たしかに、「焼きしいたけが並んだ食卓」を前にしても、しいたけが好きな人間と嫌いな人間では全く意味が違う。しいたけで違うのだから、まちや建築のスケールでは余程違うはずで、この理解に専門家も非専門家もないだろう。「リテラシー」など威張って見下ろすのではなく、その中にある一人として現れたい。

共感できる感覚
あるいは「雰囲気」について考えていくことも重要である。現象学の視点で美学を感性の学としてとらえなおさんとするベーメは、雰囲気を「主観的なものでありながら、他の人々と分かち合うことができ、それに関して他の人々と理解しあうことができるようなもの[5]」としている。たしかに、同じ部屋にいても、オンラインミーティングで大事なプレゼンする前の張り詰めた部屋と、休日に親しい人と穏やかに過ごす部屋、物理的な空間構成に変化はなくても、雰囲気は変化するし部屋は伸び縮みする。そして、その場にいなくても、想像できるし共感できる。この共感できる感覚は何なのか、人と人、人と建築、人とまちの間をつなぎ、協働を促すアーキテクトとして深めていく必要があるだろう。

まずは家から
2016年のセッションを振り返り、協働を促す建築家のあり方と、その手法としての対話、さらに共感の感覚など未だ言語化できていないものへの思考が大事だと書いた。

このセッションの6日後、わが子が生まれた。
2021年、わが子はもうすぐ5歳。
健康に安全に育ってほしい。
これといった正解がなく、状況によって変化するwicked problemの最たるもの。
まずは家から。ちゃんと家族で対話しようと思う。

[1] https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/hoso/kyouzai.html
[2] 布野修司『裸の建築家 タウンアーキテクト論序説』(建築資料研究社、2000)
[3] 上野千鶴子編『構築主義とは何か』(勁草書房、2001)
[4] 前掲3
[5] ゲルノート・ベーメ『雰囲気の美学 新しい現象学の挑戦』(梶谷真司、斉藤歩、野村文宏訳、晃洋書房、2006[1998])

又吉重太
1985年沖縄県生まれ。2012年滋賀県立大学大学院環境科学研究科(博士前期課程)修了。島根県を本社に持つ建設コンサルタントに入社後、2020年独立。


 

【応答文2】
まちや建築に対する能動的関与を促すデザイン
友渕貴之

本イベントに初めて参加させて頂いたのは2016年。5年が経過した。当時のメンバーは現在も地域に入り込み、住民と協働しながら活動を展開している方が多いなと感じており、刺激を受けている。私自身は当時、東日本大震災による被災地復興について住民協働のまちづくりを中心に活動を行っていた。とりわけ、災害危険区域となった場所はなかなか行政主導による事業は見込めず、DIY的に自分たちで場づくりをおこなうことが重要であり、老若男女問わず関わってもらう仕組みづくりに奮闘していた。そして、能動的関与を促すことで空間が場所に変わっていくのだと考えていた。

また学部生の頃から一般の方に建築を楽しんでもらう環境が乏しいなと感じており、商店街の路上を会場に作品展を開催するなどの活動を行っていた。それは半ば強制的に建築というものを意識してもらう状況を生み出す行為であるが、実際に展示会は老若男女問わずに興味を示してくれた。これは道行く人にとって建築というものが興味の対象になりうることをあらためて認識させてくれた。

そして、こうした活動を通じて、まちや建築に対する親近感とまちや建築への能動的関与は相関関係にあるのではないかと考えるようになった。つまり、まちや建築についてのリテラシーとは、親近感を持って能動的に関与する機会を何度も提供することでこそ養われるのではないかということである。

 その結果、現在はまちや建築に多くの人を巻き込みながらつくっていくという行為と並行して、こんな使い方も楽しいよねという関与の方法を開発し、示すことについても取り組んでいる。例えば、普段見慣れた街を異なる視点で歩き、滞在する機会を創出するツールとして移動式焼き場「七輪車」というものを開発した。通常のまち歩きに移動する熱源を加えることで、通常とは異なるまち歩きの楽しみ方を提供するとともに、新しい風景を生み出すことを目的としたものである。参加している人は歩いてもよさそうな道はどこか?と考えつつも、美味しい食材やいい風景を求めて彷徨ったり、食材が焼けてきたら立ち止まったりと、通常のまち歩きとは異なる要素が加えられることで、まちの見方を大きく変える必要がある。また、偶然すれ違った人にとってもなにか見たことのない現象が発生していると少しドキッとさせられ、ちょっと話しかけたくなる状況と出会う。そして、気づいたら一緒に歩いているということもしばしば生じる現象である。他にもまちなかにブルーシートを広げるかのように屋台を広げることで、通常とは異なる場が生まれ、道行く人との会話が比較的容易に発生することが分かった。なかにはすごくはまって、屋台を広げる日には必ず訪れる人や、食材の準備やごみ捨て等の運営をサポートする人も現れた。

 七輪車や屋台は決して高尚なものではなく、むしろ俗的なものではあるが、そのことがむしろ多くの人の関与を容易にしているのではないかと考えるようになった。屋台や一輪車は多くの人が見たことのあるものではあるが、実際に見る機会が少なかったり、知っている使い方ではないという点が興味を惹きつけている。また、関与する際にも何をしたらいいかということが分かりやすく、誰もが簡単に関与できるという敷居の低さと好奇心をくすぐる日常との違和感を備えているという点が能動的関与を促すうえで重要であると感じる。

 つまり、ものすごく美しかったり、複雑なものは人と一定の距離を生み出す可能性があり、多少汚したり、自分でも扱えると思えるデザインの方が多くの人の関与を促すには優れている可能性が高い。そうした関与しやすいデザインを提供し、参加したり、関わったりする人を増やしていくことが、最終的にはまちや空間に対するリテラシーを育むことへと繋がっていくのではないだろうか。このようにして、リテラシーを育んだ先に更なる驚きや感動を生み出すまちや建築が生まれるのかもしれないと想像している。

 最後に、本イベントに参加したことをきっかけに多くの人と知り合い、継続的に交流する人や何かの局面で遭遇する人などと出会い、たくさんの刺激を頂く機会を得ました。このような風変わりな活動を展開していても、みんなに見せるとどんな反応するかなという1つの指標にもなっていたと思います。このような場を提供してくれているみなさまに改めて感謝申し上げます。

友渕貴之
1988年和歌山県生まれ。2013年神戸大学大学院工学研究科修士課程修了。2017年-宮城大学事業構想学群助教。学生時代より多くの人がまちや建築に関心を持ち、積極的に関わってもらいたいと思い、商店街の路上を活用した作品展の企画や被災地復興の現場で住民と協働による場づくりなどの活動を行ってきた。その他、まちを日常とは異なる視点で楽しむ方法を開発するなど、能動的にまちや建築に関与するためのデザインについて実践的に取り組んでいる。2020年 ソトノバ・アワード2019ゲスト審査委員賞「移動式焼き場-七輪車プロジェクト-」。2021年 日本建築学会賞(業績・復旧復興特別賞)「気仙沼市唐桑町大沢地区における復興の取り組み」

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