Session08 – 日常の中に危機管理を埋め込む社会の仕組みは何か? –

2016 マネジメント制度地域資源場づくり防災

日時:2016/10/9  15:30〜16:30
会場:建築会館ホール、他
テーマ:日常の中に危機管理を埋め込む社会の仕組みは何か?
ゲストコメンテーター:馬場正尊|Open A、西田司|オンデザインパートナーズ
登壇者:辻村修太郎、岩澤拓海、長谷川明、栗本賢一、吉永規夫、須藤剛、岡山俊介、八木 健吾、秋山照夫、黒岩裕樹


 

【応答文1】
危機を好機に。危機管理から生み出す新たな建築。
(岡山俊介)

セッションでは、「そもそも『危機』とはなにを指すのか」という話が盛り上がり、わかりやすい自然災害などだけでなく、対象が個人となれば「仕事がないことも『危機』である」という話もあがった。つまり、対象の大きさが変われば『危機』のスケールも変わる。何かを日常に浸透させようとするときには、ポジティブなイメージをもつものの方が受け入れられやすい。危機管理をネガティブなイメージにするのではなく、危機管理によって生まれる生活や様式の変化をポジティブなものにすることで、人々が受け入れやすくなると考えられる。

例えば、免震や制振といった構造形式は地震に対する危機管理から生まれたといっても間違いではないように思う。最近では、中低層の主に鉄骨造の建物に制振ダンパーというデバイスを配置する設計がある。制振ダンパーは地震や強風の揺れを大幅に低減してくれるため、一般的な耐震設計の建物と比べて柱梁の断面を小さく設計することが可能となる。このような設計を「付加制振」と呼んでいるが、これは地震の揺れに対する危機管理の結果、通常よりスレンダーな部材での設計が可能になるというポジティブな変化だと言える。

いま、わかりやすい危機(=コロナウイルス)が世界規模で蔓延する中、特に働き方には大きな変化が生じた。これによって社会に新たなかたち(オフィス、住居、家族、、)が生まれたとき、建築家は新たな空間を提示できる立場にいる。ネガティブな事態に対処するという危機管理の概念自体を変えて、よりよい生活への転換の足掛かりとして危機を捉えることで、建築家が社会に働きかけることができるのではないだろうか。

岡山俊介
1982年神奈川県生まれ。2008年東京工業大学大学院修了、同年金箱構造設計事務所入社
主な担当作品に福田美術館、木曽町役場庁舎


 

【応答文2】
フェーズフリー建築が生み出すポストコロナ時代の価値
(栗本賢一)

2016年に開催されたパラレルプロジェクションズ・セッション8は、「日常の中に危機管理を埋め込む社会の仕組みは何か?」というテーマで行われた。イベント開催当時を思い返せば、大地震やゲリラ豪雨などの自然災害を視野に入れた建築単体、ないしは地域の危機といった内容が話題の中心であった。それから5年を経た現在、私たちは、新型コロナウイルス・パンデミックという世界規模の危機に直面しており、セッション8のテーマは、期せずしてアクチュアルなテーマになっている。5年前とはまったく異なる状況の現在、セッション8のテーマには、どのような回答がふさわしいのか、今一度考えてみたい。

・不十分だった世界の感染症対策
2020年1月、世界経済フォーラム(WORLD ECONOMIC FORUM)は、「グローバルリスク報告書2020年版(The Global Risks Report 2020)」を公表した。WHOが「パンデミック宣言」を行った2ヶ月前のことだった。報告書では、「今後10年間で起こりうる可能性の高いグローバルリスク」のトップ10をあげ、その上位5位は、異常気象、気候変動の緩和・適応の失敗、自然災害、生物多様性の喪失と生態系の崩壊、人為的な環境災害といった、すべてが「環境」に関連するリスクであった。感染症はトップ10に入っておらず、「今後10年で世界に影響を与えるリスク」トップ10の最下位に、かろうじてランクインしているという状況だった。一方、かのビル・ゲイツは、早くも2015年に、ウイルス感染症への投資が少なすぎる故に世界規模の失敗を引き起こす、と警告を発していた。新型コロナウイルス禍は、不幸にしてビル・ゲイツの予言を的中させた。世界は、感染症の脅威を過小評価しており、あまりにも対策が不十分であった。

・危機への「備え」の欠如
2016年のセッション後、メンバーと交わした議論のまとめとして「危機を顕在化する“問い”の創造」というテキストを寄稿した(『新建築』2016年12月号【特別記事】パラレル・プロジェクションズ掲載)。その内容は、可能な限り危機を想定し、さらに自分ごととして捉え、常に危機への「問い」を生み出すことで、日常生活に危機を顕在化し、「備え」を欠かさず行っていく必要がある、というものであった。このテキストで重要な内容は、危機への「備え」が重要であるという点である。新型コロナウイルス禍は、決して予期せぬ事態ではなく、かろうじて予測されていた危機である。現在、世界が新型コロナウイルス禍に見舞われている状況は、危機への「備え」が不十分であったことに起因している。

・日本と世界の新型コロナウイルス禍への対応比較
現在のわが国を鑑みると、新型コロナウイルス禍に対する対応は、満点とまでは言えないものの、十分に及第点はクリアしているというのが、多くの方の意見ではないだろうか(少なくとも、私はそう認識している)。未曾有の危機に対する医療従事者の尽力には頭が下がる思いであり、ワクチン接種のスピードも世界に類を見ないほどの驚異的なスピードで進行している。だが、それでもわが国の課題をあげるとすれば、それは、現場ではなく国家のシステムに存在する。それは、有事を平時で対応していることである。

新型コロナウイルス禍は、紛れもなく有事である。しかし、わが国の法体系は、憲法をはじめとして、有事を想定した体系ではないのが実情である。国家システムとして、有事に対して平時の対応で臨まなければならない、という構造的リスクを抱えている。一方、他国といえば、感染者数の結果がどうあれ、国家の対応としては、有事への切り替えが速やかに行われていた。特に注目すべきは、2003年のSARS禍に見舞われたアジア各国である。これらの国々は、SARSの痛ましい被害への反省から、法体系、医療体制、検査体制など、感染症に対するさまざまな「備え」が網羅的に設けられており、その対応は非常に迅速であった。台湾の対応が見事だったのは、衆目の一致するところであろう。新型コロナウイルスの発祥地である中国では、「公衆衛生上の緊急事態対応レベル」を最高レベルの1級にあげた瞬間、社会システムがすべて有事モードに切り替わり、ロックダウンや感染爆発地・武漢への医療従事者の派遣など、膨大なマニュアルによって、巨大な国家が迅速に対応を行っていた。それらの国々と比較して、国家システムに「備え」が欠如しているわが国の現状は、結果的に対応が後手に回り、現場は大きく混乱した。その状況は、東日本大震災にも共通している。

・安全工学分野でみる危機への「備え」
では、私たちは、どのような「備え」を行うべきなのだろうか。安全工学の分野では、危機管理に対して、フェイルセーフ、フールプルーフ、多重性、多様性、単一故障、保守的設計など、さまざまな「備え」の方策が論じられている。航空機の安全性をみてもわかるように、極限の信頼性が求められる部分は、アッセンブリーといったコストダウンではなく、むしろフェイルセーフによって多重化されている。自動車においても、センチュリーなどの高級車は、エンジン周りが多重化されている。平時の無駄は有事の余裕と言われるが、危機への「備え」は、多様・多重化し冗長性を持たせるのが、安全工学の基本である。

・備えない危機管理「フェーズフリー」
しかし、このような重厚な「備え」は、インフラや機械などの分野に適している一方、それを私たちの普段の日常生活で設けていくのは容易ではない。そこで、近年、「備えない」危機管理として、「フェーズフリー(Phase Free)」という概念が注目を集めている。フェーズフリーとは、平常時(日常)と災害時(非日常)という社会のフェーズを取り払い、普段利用している商品やサービスが災害時においても適切に使えるようにする概念である。フェーズフリーの商品は、例えば、「プリウスPHV」などの次世代車があげられる。「プリウスPHV」は、ガソリンエンジンと電気モーターの2つの動力源を持ち、大容量のリチウムイオンバッテリーを搭載しているため、災害時に電気が止まってしまった際にも、非常用の電源として機能する。

この概念を普及させるべく、2018年に設立された一般社団法人フェーズフリー協会(https://phasefree.net/)では、「フェーズフリーの5原則」を定義している。フェーズフリー協会のホームページより引用すれば、フェーズフリーの5原則とは、①日常時だけでなく、非常時にも快適に活用することができる「常活性」。 ②日常の暮らしの中で、その商品やサービスを心地よく活用することができる「日常性」。 ③使用方法や消耗・交換時期などが分かりやすく、誰にも使いやすく利用しやすい「直感性」。④フェーズフリーな商品やサービスを通して、多くの人に安全や安心に関する意識を提起する「触発性」。⑤安心で快適な社会をつくるために、誰でも気軽に活用・参加できる 「普及性」である。フェーズフリー協会は、この5原則を基に、日常・非日常の有用性を数値化し、一定の基準を満たしたサービスや商品に「フェーズフリー認証」を与えている。フェーズフリー認証の商品は、水も持ち運べるエコバック、屋内外で使用可能な粘着力を強化したポストイット、蓄光機能付きLED電球など、さまざまな商品が展開され始めている。

・テーマへの回答「フェーズフリー建築」
このフェーズフリーの考え方は、建築に携わる私たちにとって、さまざまな示唆を与える。建築物の評価には、性能評価やデザイン評価など、さまざまな分野が存在するが、これらの分野を横断するフェーズフリーの考え方は、私たちに危機への「備え」という点で、新たな視座を与えてくれる。時として、普段の建築業務では、“安全性能に特化した建築では利便性や意匠性が損なわれる”、“利便性や意匠性を追求するあまり安全性能が損なわれる”、といった二律背反の議論を行いがちである。だが、建築を創造するにあたって、フェーズフリーの概念を導入すれば、豊かで快適で、かつ災害時にも役立つ建築の創造が実現可能になる。いわば、「フェーズフリー建築」の創造こそが、「日常の中に危機管理を埋め込む社会の仕組みは何か?」というテーマに対して、ふさわしい解決方法であるといえよう。

建築業界でもすでにこの動きが始まっており、「NPO法人フェーズフリー建築協会(http://phasefree-a.or.jp/)」がフェーズフリー建築を普及する活動を行っているようである。また、地方自治体の防災計画でもフェーズフリー建築を取り入れ始めている。2018年には、今治市が、最大320人が1週間避難できる防災機能を備えた次世代ごみ処理施設「今治市クリーンセンター・バリクリーン(http://bariclean.jp/)」を稼働させている。平常時は市民16万人のごみ処理施設と憩いの場として機能し、災害時は「防災拠点」として機能することで、平時と有事の垣根なく、常に地域に貢献する建築が実現している。

・フェーズフリー建築が生み出すポストコロナ時代の価値
フェーズフリーとは、無駄を生み出す行為ではなく、日常と非日常、あるいは、平時と有事の「境界」をデザインする行為であり、それこそ、建築を多様・多重化する行為である。建築に携わる私たちは、フェーズフリー建築が生み出す価値の創造に、改めて注目すべきであろう。フェーズフリー建築の普及によって、それに係る市民、企業・団体、自治体など、すべての人々が建築を通して危機に「備え」を行うことが可能となる。また、その普及によって、わが国の災害対応力をはじめとした危機管理能力が増していく。

また、先人の知恵である「備えあれば憂いなし」という言葉がある。それは、日常の生活の中で無駄と思われるものでも、続けることに意味があることを私たちに教えてくれる。近年、少々潔癖症のきらいがあるわが国では、何でも無駄として切り捨てる風潮があるが、無駄は切り捨てれば良いというものではない。一見すれば無駄に見える「備え」でも、危機の際には役に立つことが多々ある。そのような「無駄」を許容していくためには、余白や余裕がある社会づくりを目指していくことも重要である。豊かな社会でこそ、「無駄」ができ、そして「備え」も生じる。

近未来では、災害も複合・進化し、新たな感染症だけではなく、自然災害の脅威が増大していくという予想もされている。2021年1月に発表された「グローバルリスク報告書2021年版」では、パンデミックは至近のリスクと位置付けられ、依然として気候変動による異常気象は高いリスクとして認識されている。日本は災害大国であり、南海トラフ地震、富士山噴火など、さまざまな巨大災害が、近い将来起こりうるリスクとして懸念されている。私たちは、平時と有事のスムーズな切り替えを実現し、その垣根を取り払う努力をしながら、先人の知恵と真摯に向き合い、新しい「無駄」を創造し、予測されるさまざまな危機に迅速に備えていく必要がある。

栗本賢一
1981年生まれ。2007年日本大学大学院修了。SAKO建築設計工社(北京事務所)を経て、2013年より現職。日本大学大学院後期博士課程在籍。日本や中国等、東アジアを主な活動場所とし、建築から都市に至るまで様々なスケールを横断しながら設計や研究活動を行っている。最近では、中国の全297地級市以上の都市を定量データで比較分析する「中国都市総合評価指標」の開発に携わる。当指標は、中国政府から正式な都市評価指標として公認され、中国国内をはじめ、海外で高い評価を受けている。

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