Session26 -産業を埋め込むことで見出される生活のかたちとは? –

2018 サスティナビリティローカリティ地域資源生産職能の拡大

 

日時:2018/10/21 15:00~18:00
会場:建築会館ホール
テーマ: 産業を埋め込むことで見出される生活のかたちとは?
登壇者:川井操(滋賀県立大学)、多田正治(多田正治アトリエ)、岡田翔太郎(岡田翔太郎建築デザイン事務所商事合同会社)、水野太史(水野太史建築設計事務所、水野製陶園ラボ)、中島亮二、橋本芙美、町秋人(町秋人建築設計事務所)


 

【応答文1】
いま「産業を埋めこむ」とはなにか。そしてなにに?
(中島亮二)

カイ・T・エリクソンは、1972年にアメリカ東部にあるバッファロー・クリークで起きた凄惨な洪水の生存者に見られる精神的な傷跡を[個別的トラウマ]と[集合的トラウマ]に分ける*1。前者が突発的であるのに対して、後者は「気がつかないくらいゆっくりじわじわと人びとの意識に作用していく」。洪水被災者へのインタビューと歴史・文化のリサーチからなる社会学的調査によって、谷地で発生した「一撃」よりも前に、広くアパラチア全域に根ざしたトラウマの端緒の存在が明らかにされていく。作用には炭鉱産業に深く起因するものがあり、それは人為的なものだった。そこに災害が起きたことで被害は深刻化した。

そもそも「災害」とはなにか。カイ・エリクソンは「災害によって誘発されたという理由である状態を「トラウマ」と分類するのではなく、トラウマ反応をもたらす性質を持っていたからという理由で、その出来事を「災害」と分類してみたらどうだろうか。」と反転させる。これは分かる気がする。ここ数年の農業従事の現場は、同時に何らかの被災地でもあるように思える時があるからだ。あきらかな崩壊の原因は見当たらない。にも関わらず、何かが起きてしまっている。もちろん、僕が見ているのは農業全体のほんの一部分に過ぎないが、疲労や疎外、それに伴ってあらわれる依存症や暴力などによって「生活のかたち」は歪められる。こうした長い時間を伴って現れつつある症状を「慢性的な災害」の兆候とみなして関わること。ぼくにとっては、それが「産業を埋め込む」ことに他ならない。

ところで「谷地」といえば、本セッションには町秋人による大井川の河岸にキャンプ場を開設する活動があった。2018年のテーマである「プロジェクト・リノベーション」の題材となったこの活動を、流域全体を観光資源として捉え直すプロジェクトへと改変すること、が私たちの提案だったと記憶している。このプロジェクトの詳細や後の展開については、町さんが書いてくれるかもしれないので、ひとまず他の参加者のプロジェクトを見ていくことにする。それらには「産業」以外にも共通すると思われるものがある。「資源」のタグがそのひとつである。

多田正治による学生や現地の住民も含めたセルフビルドでつくられた水産加工施設〈梶賀のあぶり場〉。川井操によるインドの紡糸産業を起点とした雇用創出事業に伴う作業所の建設計画〈カディプロジェクト〉。橋本芙美による空きボトルを用いた照明が示唆するリサイクル産業の小さなハック〈bottle-light〉。これらのプロジェクトにはたまたまそこにあったものを資源として扱い、さらには自分自身や関係する人々さえも資源とみなす切実な態度がよく現れている。当日にお会いすることは叶わなかったが、こうした視点から水野太史〈水野製陶園ラボ〉・岡田翔太郎〈ICOUの小さな旅館〉にも見ることができそうだ。

ここで、こうした状況をバラックの建ち並ぶ関東大震災後の焼け野原に重ねるのは強引すぎるだろうか。しかし、現在の産業が向き合う現場において、限られた資源の捉え直しは前述したとおりである。こうした状況下では、なにに「埋めこむ」のかはいったん脇においておかれる。何に帰結するのか明示されないプロジェクトは、他のプロジェクトに比べ、どこか「ねじれの位置」に置かれる。するとプロジェクトは、並走もなく、相互に交点も見出し得ない。少ない資源が駆使されるとき、そうした規範意識の薄められた「ねじれ」は生じるものだ。しかし、説明のつかないねじれたプロジェクトが生んだ空白の部分を各々が埋めていく試みに、新しくて意味のあるものは現れてくるのではないだろうか。そして、私たちが各々のプロジェクトを「ねじれの位置」として意識できるのだとしたら、それはまず平行の空間があったことによる。

*1 カイ・T・エリクソン『そこにすべてがあった バッファロー・クリーク洪水と集合的トラウマの社会学』

中島亮二
1992年岐阜生まれ、2016年新潟大学大学院修了後、東海林健建築設計事務所に勤務.現在,家業である農家として働きながら設計・制作活動を続ける.


 

【応答文2】
流域のかたち
(町 秋人)

僕は2018年に地元である静岡県中部の「大井川の中流域にキャンプ場を整備するプロジェクト」の発表で参加させてもらった。当時は独立して2年目で、「とにかく建築というカタチにしなくてはならない」と思い込んでいたので、カタチだけに囚われない新たな視点のアドバイスをもらえたはとてもいい体験だった。

このキャンプ場の計画は、地域の人が「キャンプ場を作りたいんだ」という声掛けから始まった。僕はただ完結したキャンプ場を作るというよりは、キャンプ場を通して地域や自然と人、産業と生活について考えることができればと思っていた。魅力のたくさんある地域ではあるが、発表の時点ではどう繋ぎ、広がりを生み出せるのかがとても難しく、悩んでいた。セッションのなかで、地域の魅力を伝えるには「人がどう動くか」を考えることも大切だという視点をもらった。「ただ観光地がある」というような点で計画するのではなく、大井川流域全体まで視点を広げるアドバイスである。ゲストメンターとの話し合いでは、大井川に沿って運行しているSLと絡めて、「まずどこへ行って、ここでは何を食べて、ここで何を体験できるのか……」など、非常に具体的なアドバイスをもらった。一人で計画を練っていたときは、場所や観光地などのポイント(点)ありきで考えてしまっていたので、建築というのは線でつないでいくことが大事ということを改めて納得させられた。残念ながらこの計画は地主さんとの合意がうまく得られずストップしてしまったが、改めて振り返るとこの時にもらったアドバイスが今に続いて生きていると実感する。

2020年にコロナ禍が始まり、多くの人が集まる屋内での活動が難しくなった。一つの場所(建物)で長時間過ごすことやエンターテイメント的な体験よりも、実態に即したより生活に密着した事柄や体験に世の中の興味が向いている気がする。これは2018年の参加時にもらったアドバイス、「流域全体、地域をまるごと体感する」ということとつながっていると僕は思う。僕が住んでいる静岡県島田市は一級河川・大井川の下流域にあり、大井川の恵みから発展してきたと言っても過言ではない街である。木から木材業・木材製函業、製紙業、化学と様々な分野へと発展していった。普段生活する上で流域という単位や、川や森の恩恵を直接意識することは少ないが、コロナ禍で様々な行動に自粛が要請されたことで、改めて人間らしく生活するためにはなにが大事かを考えさせられた。今まで当たり前だと思っていたことも実はそうではなかったと気づかせられた。僕の実家も大井川の下流域にあり、古くから材木業を生業としている。現在は行っていないが、かつては山へ篭り、山から木を切り出していた。その当時に所有していた山林の一部が今も残っていることを最近知った。現在だと負の遺産になりつつある所有の山を、なんとか現在の価値観で再び活用する方法はないかと模索している。

また、このコロナ禍の延長で起きたウッドショックも改めて色々考えさせられるキッカケにもなった。材木の流通が激減し、周囲はざわめいていた。しかし、ふと見渡せば住んでいるところからすぐの山にも、使い時の木がたくさん育っている。木がすぐそこにあるにも関わらず、外国から船で運んできたほうが安いというのが材木業界の現状であることに改めて疑問を感じた。素早い結果を求めがちで、安定でスピード供給が最優先される社会が出来上がっていることを俯瞰したとき、今一度自然と産業・生活の必然性を森の時間感覚に学ぶことがたくさんあるのではないかと深く思う。ウッドショックにより、輸入材よりも国産材に注目が集まっている今だからこそ、これまでのように消費を繰り返すのではなく、森は日本国土そのもの、私有財産を超えた共有財産という視点で改めて森の価値の多様性、効果、存在について考えていきたい。現在はそのような背景もあり、新たに産業を埋め込むというよりは、元々あったけど今は流れてきた土砂に埋もれ見えなくなっているものをもう一度掘り出し、生活のカタチへと繋げることを考えていきたいと思っている。多大なる恩恵を与えてくれる木や山は、現在の価値観だと山の出口が単一であり、価格も見合っているとは言えない。ゆえに、人々の生活からは森の存在が希薄になり、関心がなくなってしまっている。そのことが、突如、災害として牙をむく悲しい連鎖も起きている。

木というのは、単に素材(テスクチャー)としても魅力的な素材だが、それ以上に木の生命観のような部分に親しみや魅力を感じられる情報量がとても多い素材である。そんな素材に技術という手を加えることで、人がつくる建築に活かすことができることはとても豊かなことであると思う。まずは関心をもってもらえるよう、木や森の多様な価値や効果、大事なことを気づかせてくれる存在としてその魅力を建築を通して少しでも伝えていきたい。そもそも僕らの生きている世界は常に連続体の中にあり、その断面の瞬きが建築として現れているだけかもしれない。そう考えると、建築をつくる上で木という素材は最も適した素材の一つであると思う。森に対して持つ長い時間感覚、自然のサイクルに寄り添った長期的な視点に再び目を向け、今一度流域という視点を新たに、森や川の存在、そして自然だけではなくそこに寄り添ってきた人々の生活を線でつなげていきたいと思っている。

町 秋人
1985年 静岡県生まれ。京都精華大学デザイン学部建築分野卒業後、現在 町秋人建築設計事務所主宰

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