ものごとの集まりかたを考える
事務所の庭には鮮やかな赤色の鳥居があり、2月の晴れた日に30人ほどの親族が集まって、小さなお祈りの会が催される。神主さんが鳥居に向かい合いながら、つらつらと健康やら長寿やら繁栄やらを詠いあげる。1年に1度だが、長く続いている会なので、彼は内容を暗記している。なぜだか毎年この日に、鳥居の横の梅の花がちょうど満開になる。映画のようなタイミングで、メジロが飛んできて枝にとまり鳴き声をあげる。お供え物の榊は、庭から調達されていて、足りなくなるとまた摘んでお供えをする。囲むように縁側があり、小さな中庭の様子を、建具も瓦屋根も同じように眺めている。飽きてきた子供が走り回り、大人がたしなめる。この風景を回想していくと、おじいちゃんもおばあちゃんも、もともとはこの「走り回る子供」であったことがわかる。
いろいろなものがそれぞれの原理でちょうどそこにあり、ざっくばらんに集合している状況によって、あらたな意味を帯びたり、積極的に出来事を招いていくような環境をつくりたい。それは、時間や事象のリズムを緻密に観察し、慎重に配置していくことで計画できるはずである。多視点的で、多中心的でありながらも、重なりによって一体性や意味が生じる瞬間にこそ、空間や建築の必要性を感じている。
冨永美保
tomito architecture
専門分野|意匠
活動地|横浜
生まれ|1988
丘の上に寺子屋ハウスをつくった。公民館のようなもので、もともとは小さな長屋の一室を、同い年の若者が借りたことがきっかけだ。お金も縁もない状況で、「家を開いていく」ことについて考えた。
開くというのはとても難しい。 ただ玄関を開けていれば人が来るなんていうことはもちろん無く、住宅地でもあることから、地域住民との細やかな関係性づくり、運営主体の構築なども含めて設計を進めてきた。
私たちが提案したのは、現在まちに展開されている出来事を細やかに観察することから得られた、鮮やかで複雑な事ごとの1部と接続するきっかけたちの集合体である。
たとえば道に面した軒下空間は、湾曲した地域の主要動線に面して開かれた大きな玄関であり、大正時代から地域住民から愛されていた石畳のリサイクルであり、日常的な挨拶や会話はもちろん、バーベキューや煙草を楽しむ場所である。そこに立つ柱は、犬の散歩中に立ち寄ったさいに犬を繋いでおくポールであり、二階の荷重を支える無垢柱であり、小学生たちののぼり棒の競争現場であり、空間の輪郭を曖昧にして道から軒下に誘う役割でもある。
さまざまなスケールで、異なる出来事や目的を集めて重ね合わせ、そこに根付いている具体的で鮮やかな暮らしの一部たちと複雑に接続する総体をつくることで、「開く」ことを実現できないかと期待している。
写真1.2枚目:大高隆