Session21 -街のメンバーシップを拡張する建築プロジェクトとは?-

2017 中心市街地場づくり観光

日時:2017/10/22 17:00~18:00
会場:建築会館ホール
テーマ: -街のメンバーシップを拡張する建築プロジェクトとは?-
ゲストメンター:菅沼聖|山口情報芸術センター/YCAM

【登壇者】
橋本愛佳、岡田朋子、木村慎弥、森元気、大塚隆光、佐藤桂火、永田賢一郎、鈴木知悠、小泉瑛一、多田正治

【応答文1】

生業としての建築
(永田賢一郎)

パラレルセッションズでは第1回にアイボリィアーキテクチュアというチームで会場構成を、翌年は登壇者として参加させて頂いた。当時は横浜の黄金町という場所に、閉館となったストリップ劇場を仲間と借りて拠点にして活動をしていた頃で、アイボリィ以外にも大工やライター、カメラマン、アーティストなどが一緒にその場所で活動をしていた。「旧劇場」と名付けたその場所は、その頃まだ30代前半だった僕たちが横浜で生き延びる為に根城として作った場所で、シェアスタジオやレンタルスタジオの様な体裁の整っているような場所ではなかった。それ故に持続していくために苦労する面も多々あったが、この地域で、このメンバーで、この空間でしか成り立たない場所、空気感というものが当時のそこにはあった。夜遅くまで仕事をしていると「街が明るくなって安心する」と近所の方に言われたときは、拠点が存在することが地域にもたらす効果というのを実感した。

またちょうど同じ頃、横浜の藤棚という地域で設計させてもらったシェアアパートを自分で借りて、住まいを地域に開くような活動やWSや勉強会などを積極的に行ったりもしていた。設計時に提案した未来図が果たしてこの建物で起きていくのかという暮らしの実証実験である。どちらも自分の仕事場や住まいだが、自ら企画した場所を使うというのは暮らしの中からのフィードバックが多く、ずっと設計が続いているような感覚があった。あまり記憶が定かでないが、おそらくこれらの活動があってこの「街のメンバーシップを拡張する~」というセッションに参加した気がする。

その後、2018年に惜しくも「旧劇場」は解散となり、個人的にもアイボリィから個人の屋号で活動するようになっていったのだが、それからの活動では、住まいのある商店街の中で空き店舗を借りて「藤棚デパートメント」というシェアキッチン兼自分の設計事務所を作ったり、その近くの空き倉庫を改修して小さなシェアアトリエを作ったり、またその少し先にある事務所ビルの2フロアを借り切って自分の住まいとシェアオフィスが混在する場所を作ったりと、自分で場所を借りて設計をし、仲間や地域の人たちと一緒に使っていくという活動が主軸になっていった。

シェアキッチンや地域拠点の類は最近では珍しいものではないし、色んな組織や企業があらゆる場所で手掛けている。ただ自分の場合はすべて、暮らしている同じ地域の中で、一人で勝手に始めたものであった。クライアントからの依頼を受けて設計をする、という業務が一般的な設計事務所の形だとするならば、些か奇妙な活動の仕方であるし、施主との対話もなく好き勝手にやっているだけのように思われるかもしれない。事実、プロジェクトのほとんどは自分の暮らしにまつわる場所である。でも自分が暮らす地域だからこそ、良い環境になってほしいと思うし、良い関係性を築いていきたいと思う。

僕らは皆、どこかの地域に暮らしていて、そこでの暮らしが成立する為に多くの人の関わりが背景に存在している。全ての人は地域によって生かされていて、同時に隣の家の人が生きるための地域の構成要素にもなっている。それは建築家という職業を選んだ人間も同じである。であるならば、建築家という存在はもっと地域を活かす役割を担えるはずなのである。日々暮らす地域の声を聞き、地域全体をクライアントとして捉え、あったら良いと思う場所をどんどん作っていく。地域を構成する人たちが活躍できる場を作り可視化していくことで、関係性を重層化していく。そうする事で関わり代も増え、参加できる人たちも増えていく。こうして一人の地域住民として始めた活動に多くの人が紐づくようになっていくのである。もちろん賛同してくれるクライアントがいるならそれに越したことはない。けれどいつも良いタイミングで声がかかるとは限らない。自分で動くことに不安を感じる人もいるかもしれない。自分で場所を用意し、企画し、設計しているのでそもそも設計料なんてものは発生しないのだから。でもその代わりに場所を利用してくれる人たちから頂く利用料や賃料が小さな設計料となる。その場所が気に入られれば利用者はずっと増えるし、気に入らなければ使う人は減る。日々の生活からのフィードバックは多く、指摘や気づいたことがあれば更新していくことで、地域で暮らす人たちをクライアントとした終わりのない設計活動が続いていく。小さな設計料の積み重ねもやがて生業を成立させるようになるのだ。

これは誰にでも出来ることだと思っている。皆やってこなかっただけなのである。
まずは自分の暮らす街で、自分が良いと思う場所を、家の軒先からでもいいから作っていったらいいと思う。自信を持って行動すれば良い。すべての人は街を構成するメンバーなのだから。

永田賢一郎
YONG architecture studio主宰。1983年生まれ。横浜国立大学大学院/建築都市スクールY-GSA修了

 


 

【応答文2】

まずは自分たちが楽しむこと、そして続けていくこと
(多田正治)

「街のメンバーシップを拡張する」というテーマはとても多義的で、街に関わる人を増やすとも読めるし、街への関わり方の種類を増やすとも、関わり方の量を増やすとも読める。あえて曖昧なままに設定された、しかしなんとなくの方向性が読み取れるのがいいなと思う。
 2020年に完成した《くまの就労支援センター ヨリドコ》というプロジェクトは「街のメンバーシップの拡張」を考えるモノサシになりそうなので簡単に紹介する。
 先に文中に出てくる熊野という場所の説明を少し。「熊野」とは紀伊半島の中央から南部にかけて、奈良、和歌山、三重にまたがる地域のこと。世界遺産の熊野古道、熊野三山などが有名で、古くからの信仰の場であり山とも海とも関わりの深い場所である。

 さて《くまの就労支援センター ヨリドコ》であるが、和歌山県新宮市(新宮市も熊野)の仲之町商店街の洋品店をリノベーションしてつくった、ひきこもりや発達障害などの「生きづらさ」を抱えた若者のために教育や就労にむけた支援を行う小さな施設である。以下にプロジェクトの持つ関わりシロといえるトピックスを箇条書きにする。

資金集め
工事費の多くはクラウドファンディング(クラファン)と地元企業からの寄付により集めた。クラファンでは熊野の人たちからはもちろん、日本全国から支援の手が差し伸べられたし、熊野を旅したことのある海外の人たち(!)も参加してくれた。熊野から遠く離れた人たちに、プロジェクトの概要や熊野の今を伝えることができるのはクラファンならではである。
 一方寄付では、熊野の企業を訪問しプロジェクトの概要を直接説明することで、将来的に就労の受け皿になることも視野に理解と協力を求めた。クラファンとは異なり、地域に密着し、中長期的な提携による関係を築くことができたと思う。

商店街との関わり
障がいのある人たちが通う施設は、利用者の家族の意向や周辺地域からの不安の声などから、閉鎖的であったり、人里から少し離れた場所にある場合が多い。さいわい《ヨリドコ》の場合、利用者家族や商店街の理解を得ることができ、積極的に地域と関わるような計画が実現した。自転車に乗る練習をしている利用者を地域の人たちが応援するような光景がそこにはある。現在のコロナ禍が収束したら《ヨリドコ》が商店街の活性化に寄与できればと考えている。

熊野と大学生
熊野には大学や短期大学がただのひとつもない。新宮市から最も近い大学まで150km近く離れている。つまり熊野の高校生が進学する場合は熊野を出るほかない。熊野には大学生の姿がないのである。
 《ヨリドコ》の施工には関西の建築系の大学生が関わってくれている。大学生の存在は、地域住民にとってもなんだか喜ばしい存在で、また利用者である小学生~高校生にとっては話をしてみたいお兄さんお姉さんである。そして大学生たちにとっても自然が豊かで、農業や漁業、林業といった一次産業が身近な熊野は、多くの経験が得られる場でもある。

地域のプロフェッショナルの協力
建設資材調達には熊野の製材所が大変な協力をしてくれた。施工も新宮の工務店が仕切ってくれた。グラフィックデザインは熊野在住のデザイナー、植栽も熊野の造園屋が関わってくれた。「熊野の~」という呼び方になってしまうが、熊野はとても広い。広い熊野の東端から西端から専門家たちが新宮に集結してくれたのはとても心強かった。

以上、ざっと人々が《ヨリドコ》にどのように関わってくれたかを列記した。多くの人たちが関わってくれたのは理解や共感があったからこそである。それはプロジェクトそのものに対してだったり、熊野や新宮という場所に対してだったり、または私たちに対しての理解・共感であると思う。熊野でほかにも大小のプロジェクトを実践してきた身として言うと、確かに共感や理解は大切なのだが、それを得ようと計画してやったわけではなく、続けていたらなんとなく共感されて理解してもらった(とてもとてもありがたいことです)というのが正直な感覚である。そして、取り組みを続けられたのは、まず一番に自分たちが楽しもうという精神と、地域を救おうとか立て直そうなんて考えはおこがましいという気持ちがあったから(責任を負いたくないという逃げかもしれないし、謙虚さかもしれないし、照れ隠しかもしれないし、本当のところよくわからない)。
 楽しく続けていければ、そこから見えて来ることがある。妙な使命感に囚われることなく、まずは自分たちが、楽しむこと。それが一番である。

多田正治
1976年京都生まれ。大阪大学大学院卒業後、坂本昭・設計工房CASAを経て、京都にて「多田正治アトリエ」を主宰。2014年から熊野で地域に関わるプロジェクトにも携わっている。近畿大学非常勤講師。以下、熊野におけるプロジェクトとして、建築:《コウノイエ》《梶賀のあぶりば》《九重の竹テント》《くまの就労支援センター ヨリドコ》、展覧会やイベント:《田本研造展》《貸本+茶屋》《桜覧会》《しゃべくろらい》など、出版:《コウノタヨリ》。

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