2017/3/21
「シンジユウの子」饗庭伸|首都大学東京大学院都市環境科学研究科准教授
“建築家が、市場と市民の二つの心性を持つ人々から独立した職能であるとすれば、シンジユウの子世代の建築家はそのどちらの望みにも応えなくてはならない”
ざっくりと都市計画の流れを整理すると、官僚や政治家が計画の細部までを細かく制御し、税の再配分を中心とした手法で望ましい都市空間をつくる、という社会主義的な都市計画から、市場セクターや市民が自分たちの周りに、それぞれが望ましいと思った都市空間を工夫しながら作り出すことを重視する、新自由主義的な都市計画への転換が起こっている。それは革命のような形ではっきりと転換したわけではないが、2000年ごろを境に新自由主義的な都市計画が主流となってしまった。
気をつけなくてはいけないのは「市場セクターや市民」と二つの主語を書いたように、その「自由」が、はっきりと価値観が異なるように見える二つの主語の「自由」であることにある。かたや市場セクターは、与えられた敷地の市場価値を最大にするような建物を建てることによって都市計画を行い、自由度の高まった経済の中で空間を中心としたさまざまな資源の交換を活性化させようとする。都心に建つ超高層開発しかり、郊外の狭小敷地に建つ3階建てのミニ戸建開発しかりである。一方の市民は、自分たちの敷地に自分たちの生活の価値を最大にするような建物を建てることによって都市計画を行い、自由度の高まった経済の中で空間を中心としたさまざまな資源の交換を活性化させようとする。小さな空き家を改修して地域の拠点をつくる市民もいるし、路上に仮設的な市を開く市民もいる。
パラレルプロジェクションの議論に参加して、はっきりと面白かったのは、この二つの流れの先にある最新形が見て取れたことである。特に小さな福祉施設を議論したパラレルセッションズ02やユーザーの自発性を議論したパラレルセッションズ04では「市民」の心性がはっきりと示され、都市の街並みの成熟を議論したパラレルセッションズ05では「市場」の心性がはっきりと出た議論がなされた。
世代論は安易な議論に流れることがあるので、もう少し慎重に言葉を選ぶべきなのかもしれないが、あえてパラレル・プロジェクションズの世代に名付けるとすれば、身も心も新自由主義の申し子のような世代、名付けるなら「シンジユウの子」(流行りに乗ってみましたけど、格好悪い名付けですみません)であると言えるかもしれない。都市の中に、もはや名所にすらならない超高層建物が続々とつくられる時代、あらゆるところにシェアを標榜する小規模空間があぶくのようにつくられる時代から登場した世代である。
建築家が、市場と市民の二つの心性を持つ人々から独立した職能であるとすれば、シンジユウの子世代の建築家はそのどちらの望みにも応えなくてはならない。ホームレスのおじさんからダンボールハウスの設計を頼まれても、シンガポールのお金持ちから100階建てのタワーの設計を頼まれても、相手の望みに寄り添って、あらゆる規模の空間をつくる。そこでは、相手の持つ資源を交換して空間をつくることになるし、出来上がる空間にも資源の交換を支えたり活性化したりする仕掛けを仕込むことになる。
建築家の身体は一つしかなく、0円の開発から10,000,000,000円の開発までで得られた経験をつないでいくのは、シンジユウの子のそれぞれの身体性に委ねられている。ホームレスのおじさんとのやりとりはシンガポールのお金持ちとのコミュニケーションに活かせるかもしれないし、100階建てのタワーのデザイン調整の経験がダンボールハウスのデザイン調整に活かせるかもしれない。
2000年代に入ってから新自由主義でつくられる都市空間は、だんだんと画一化してきているようにも思う。市場は広場とスタバばかりつくるようになったし、市民はシェアとカフェとアートばかりつくるようになった。この先、シンジユウの子が空間をどのように展開させていくのか、そこに筆者は興味がある。
饗庭伸|首都大学東京大学院都市環境科学研究科准教授
1971年兵庫県生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。川崎市役所、早稲田大学助手などを経て、2007年より現職。専門は都市計画・まちづくり。近 著に『都市をたたむ』(花伝社、2015年)、『自分にあわせてまちを変えてみる力』(萌文社、2016年)、『まちづくりの仕事ガイドブック』(学芸出 版社、2016年)など。山形県鶴岡市、国立市谷保、世田谷区明大前駅前地区などのまちづくりに関わる。