Session15 -観光によって地域を育むための制度と空間とは?-
日時:2017/10/22 15:00~16:00
会場:建築会館ホール
テーマ: 観光によって地域を育むための制度と空間とは?
ゲストメンター:馬場貞幸|黄櫨綜合法律事務所所属/一般社団法人ライツアンドクリエイション理事
【登壇者】
伊藤孝仁、彌吉健介、稲山雅大、水野茂朋、森本悠義、川井操、神永侑子、柿木佑介+廣岡周平、佐藤直樹、香月真大
【応答文1】
地域の世界観が生み出す制度と空間
(廣岡周平)
2017年、設計パートナーの柿木と僕との2名でこのセッションに参加した。セッションでは観光は様々な部分に触れていた。商業的・経済的な取り組みや地元のための自発的な取り組み、場所も田舎や都市と様々で、観光という視点が広い範囲でバラバラな取り組みを包括していたことを覚えている。巨大資本によるリゾート開発のプロジェクトの横で、谷中で行うコーヒー屋台のプロジェクトが並ぶという異様さがそこにはあった。
しかしこのセッションでの最終的な問に対する回答は覚えていない。その当時は僕たちの観光に対する視点も商業的な考えに寄っていたと思う。観光というのは商業的な成功と共に地域に潤いと自信をもたらすのではないかといった傲慢さがあったような気がする。それももちろん間違いではないのかもしれないが、改めて現在の僕たちの活動と照らし合わせて、この問いに向かい合いたい。
そもそも観光とは何か? 観光に近い言葉を考えると「旅」という言葉がある。旅とは世界を広げる行為だ。観光と違いがあるとすれば旅というのは主体的な視野にたいして、観光は世界を広げることを支える、という背景も含めた言葉だと感じる。遠い異国の地で初めて触れる世界と同様に、初めて入るお店で飲むコーヒーも世界を広げてくれる。これも広げることを支えるという意味で観光だといえる。だからこそセッションではメンバーの取り組みに多様性があったはずである。しかし、「地域を育むという視点」とこの「世界を広げるという視点」が直接結びつくためにはもう少し大きな視野が必要である。
この2年ほどY-GSAの乾久美子さんのスタジオでアクターネットワークを使った課題と、U-35で出会った伊藤維さんの影響で地域資源の関係性から建築を考える試みに取り組んでいる。この試みが観光と地域を育むことを直接結びつけられるのではと考えた。
そこでPERSIMMON HILLS architectsが取り組んだ岩手県住田町での実践の話をしたい。住田町内の上有住地区で上有住地区公民館を設計監理するというプロジェクトである。となりには昔からとても大切にされていた旧上有住小学校を移築した民俗資料館があり、それを中心とした広場をつくるように公民館を配置した。プロポーザル時からその公民館だけでなく周囲の建築との連動性をコンセプトに据えていたこともあり、建築単体だけでなく、様々な地域資源との結びつきをつくろうと考えた。そこで僕たちは、設計の初期にまず、住田町の地域資源をリサーチし、その資源の関係性と変遷を関係図という図面で表した。すると地域の人々が杉林や気仙川という自然資源を利用してこの場所で暮らしてきたことがわかり、今ある街の風景はそういった自然資源を変換して大部分が作られていることがどんどんとわかってきた。また、その変遷をたどっていくと、人口が減っていく中でもどうやって自分たちの街をつくっていくのかという明確なビジョンを持って、この街が取り組みを行っていることがわかってくる。林業日本一を掲げて町内の公共施設を木造でつくり、住民5人以上が参加するサークルには年間で数万円の補助金を渡し、公民館や街の集会ができる蔵の利用が促進されている。そうした人同士の結びつきや人と物との結びつきを強めるという町の方針もあり、交流が絶えない。コロナ前には町の人と渓谷の遠足に行き、そのあとジビエや生で食べられる春菊や新米を使ったおにぎりをいただいた。そういった経験を通して住田町というものがあらゆる地域資源を大事にして、結びつきを強めていく未来を生み出そうとしている、ということがよくわかってきた。
だからこそ新しい公民館もその建築だけがヒロイックなのではなく、民俗資料館や小学校とも空間的、形態的連動をとり、町内で加工できる様々な木仕上げを取り入れ、敷地から出てきた石を壁や舗装に使い、昔の公民館から移設できるものは残し取り入れていった。そのため、公民館ではあるが、今の施工技術や活動を展示する現代的な民俗資料館として設計していた感覚がある。だからこそ、ここに訪れた人はこの町の持つ世界観に触れられる。そして一つひとつが言葉で説明でき、町の人が案内できる。「泊る」とか「買う」だけでなく、この「世界観に触れられる」ということが、訪れた人の「世界を広げること」につながる。ゆえにセッションの問いに対して、「地域が持つ世界観を詳細に考察し、それと連動するように制度と空間を設える」ということが、現在の回答である。
サルトルは「人はプロジェクトをもっていきる」と話した。しかし、人は個人のプロジェクトだけでなく、様々なプロジェクトに巻き込まれて生きているという実感がある。強制的に何かを作らされているのではなく、全体的な視野を理解して、自分のやりたいことがどんどんとその中に取り込まれていく。初めから地域や、あるいは何か大いなるもののプロジェクトによってそうなっていくように仕向けられていたのではないかとも感じる感覚。今回のプロジェクトでも、自分が「設計した」というより「設計させてもらった」という感覚を覚えた。住田町だからうまくいったというだけではなく、他の地域でもあり得ることだと思う。町の向かっているビジョンが不鮮明なときほど、詳細な考察と連動した建築が生まれることで町の世界観がくっきりと浮かび上がってくるのである。
廣岡周平
1985年生まれ、横浜国立大学大学院Y-GSA修了後、SUEP、大成建設設計部を経てPERSIMMON HILLS architects共同主宰
【応答文2】
逃げ道のデザイン
(香月真大)
世界最大の産業になると思っていた、インバウンドの世界。
既存ストックの救世主になると語ったきがする。
コロナにより何が変わったか?インバウンドの観光客は全く入らない。
渡航もできなくなり、海外・国内含めて予約が入らない。
根っからの心配性なので、ホテルがうまくいかなかったときを想定して、集合住宅にもなり、ホテルにもなる複数用途を持つ案を提案した。
コロナがおこるなんて全く想定してなかった。ただ逃げ道を提案することで、仕事は無くなることはなく、中国からトイレがこないことによる工期の延長だけで済んだ。自分の仕事が順調なときも、不意な社会情勢の変化で大きく建築のあり方も変わる。
個人的には今後どういうものが価値を持つのかわからない。どうなるか分からないからこそ、事務所+住居、ホテル+マンスリーマンション、ショップ+カフェなどの複数用途を担保する。
逃げ道のデザインをすることが大事だと感じる。
香月真大
1985年生まれ。早稲田大学大学院修了。SIA一級建築士事務所、すぎなみの街並みを作る会設立。