Session04 – ユーザーの自発性を制度設計するためには何が必要か? –

2016 制度参加自発性

日時:2o16/10/8 16:45~17:45
会場:建築会館ホール、他
テーマ:ユーザーの自発性を制度設計するためには何が必要か?
ゲストコメンテーター:山梨知彦|日建設計、饗庭伸|首都大学東京
登壇者:津賀洋輔、矢野雅規、佐竹雄太、勝亦優祐+丸山裕貴、神永侑子、市川大輔、岸本千佳、須藤菜緒、遠藤誉央
守田真子、伊藤孝仁


 

【応答文1】
ネットワークの結節点をキュレーションする
(津賀洋輔)

2016年は、建築界において「シェア」が声高に叫ばれ、近代以降バラバラになってしまった個を縫合する役割がシェアに見出され始めた時期であった。その時期に、我々のチームは建築家だけでなくユーザー(アクターと言い換えてもいい)も自発的に振る舞うべきという出発点を共有し議論を進めた。同時期に問題になっていた築地市場の豊洲移転で、必要とされる盛り土がなされていなかった原因を追求された小池都知事が、現場の意思決定プロセスがその場の「空気」に依存していたことを認めたことと並行するように、アクターは「共感」によって団結し、学び、実践し、さらなる実践に活かすというような漸次的プロセスを「ふわふわとしたプラットフォーム」と形容するという結論に至った。

そのときイメージしていたアクターは主にヒトであったが、現在では建築家がモノや技術やヒト以外の生物までも含んだエコロジー全体をアクターと捉え、その循環を取り扱うことはもはや自明のものとなっている。ある程度の実践を経た今であれば、我々は前述のようなヒトを中心とした漸次的プロセスを、建築を取り巻くアクター全体を俯瞰した「再帰的プロセス」として実践することができるように思える。

私自身の話で言えば、2019年に天王洲の建築倉庫ミュージアムで2つの展示のキュレーションを行う機会に恵まれた。そこでは現在の建築の潮流を俯瞰し、意味とストーリーを付与することで建築の価値を来館者に伝えることが求められた。キュレーション自体初めてで何もわからない私に、展示のアドバイザーとして入られていた建築史家の三宅理一先生が、「日本では建築のキュレーションを学ぶことができる大学はないが、建築家こそ建築のキュレーションを学ぶべきだ」とおっしゃっていたのが印象的だった。キュレーションとは世の中に溢れているネットワークの中心に自らを置き、思考を「建築」する必要があるという意味で、相当に建築的行為だと考えられる。自らの思考を俯瞰し、必要に応じて修正することの重要性に気付かされた体験であったが、これこそが建築を再帰的プロセスで捉え直すことに値するのだと思う。そこに引きつけて言うわけではないが、いま我々が議論すべきは「ネットワークの結節点をキュレーションする」ことで建築に価値を与え続けることなのではないか。

津賀洋輔
1983年生まれ、東京工業大学博士課程単位取得退学。現在、津賀洋輔建築事務所主宰

 


【応答文2】
柔らかい契約
(佐竹雄太)
 
「ユーザーの自発性を制度設計するためには何が必要か」。これが私たちのグループのテーマでした。グループのメンバーは独立したての建築家やアトリエ事務所の所員、組織設計事務所勤務の方などバラバラで、特に私は全体の中でも少し異質な不動産屋(になったばかり)でした。しかし、議論を進める中で、同年代だからなのか小さな差異はあるものの、それぞれの意見に対し大きな軸として共感しあい、議論がスムーズに進んだことを覚えています。それから5年が経ち、そのメンバーたちと一緒にプロジェクトを共にする仲間になったのは、すごく自然な流れだったように思います。

さて、冒頭に書いたグループのテーマに対して、私たちが議論を通したどり着いたのは「ふわふわとしたプラットフォーム」という言葉でした(印象に残り、その後に自分で作ったmultiという曲のリリックの一部にも使っています)。2016年頃、建築家の職能拡大という議論が業界内に広がっており、それぞれに建築設計だけではない領域へのチャレンジを始めているように感じていました。しかし、盲目的にそれが是とされるような風潮もあり、パラレルプロジェクションズでの議論はそこに対するモヤモヤを少しクリアにするものだったように思います。

ふわふわとしたプラットフォームとは、「様々な性格を持った個々が共感を通し自由に出入りでき、都度意思決定をドキュメンテーションすることで、フェーズを越えた横断が自在に出来る場の在り様」と私は理解しています。ワークショップとの違いは、そこに主催者と参加者というヒエラルキーがないというイメージです。この考え方を当時私は理想論のようにも感じましたが、それからの5年でそれぞれのメンバーが図らずもその実践を積み上げてきたのだと感じています。それらの実践を見るに、特にプロジェクトへの関わり方の「長さ」と「幅」に広がりを持つことが、大事なのだと思っています。長さは関わる期間であり、通常の設計期間の前や後を適宜延ばし、事前のリサーチや企画、完成後の運営まで関わること。幅とは、それぞれの立場として設計者でありながらも、事業主や大家、ユーザー、デベロッパー、リサーチャー、アドバイザー、不動産屋などの関わり方を適宜ミックスする分人的な在り方を指します。これによりプロジェクトメンバーの個々の想い、能力、知識、経験やその他資源がプロジェクト全体のフェーズで曖昧に混じり合い、様々な情報が優劣なく等価になり、思いがけないところで共感が生まれドライブしていくのだと考えます。つまりは前途した建築家の職能拡大という言葉の意味と、これは似て非なるものではないかと思うのです。それは「建築家が職能を拡大する」が人口減少時代に建築家が顧客に対してワンストップでサービスを提供していくことが大事というニュアンスが一部含まれているように感じるのに対し、ふわふわとしたプラットフォームは、一人一人が領域横断的に色んな動きをしつつも、多様なメンバーとの協働という考えがベースにあるからです。

次に視点を変え、不動産側から見るとこの考え方は非常に難しくも感じられます。なぜならば不動産という業界はそういった曖昧なものを排除し、責任区分を明確にし、高度にリスクヘッジを追及、発展を遂げたとも言えるからです。例えば、大手不動産会社が作成した不動産売買契約書を見れば、その契約にふさわしくないただ責任を回避するための文言が大量に入ることがあります。それはある意味で契約者同士に共感が生まれない前提とし、発生するかもしない諸問題を徹底的に避けるためと言えます。つまり、盲目なリスクヘッジという思考停止状態に陥っている状態です。私自身、不動産側から様々なプロジェクトに関わる中で、賃貸借契約書や売買契約書、管理委託契約書、媒介契約書やコンサル契約書等多くの契約書を作成しますが、プロジェクトに合わせどこまで契約を「柔らかく」出来るかを考えています。もちろんプロとして、起こり得る問題を様々シミュレーションした上で、条文で規定する事もときには大事ですが、それだけではなくギリギリのラインを見極めて出来るだけ自由度を高め、それにより生まれる責任や権利をチーム全体でシェアし合うように、信頼関係の具現化としての契約書を作りたいのです。それが不動産側として出来る「ふわふわとしたプラットフォーム」の一つの形ではないかと感じます。そのためには不動産の担当自体もプロジェクトへの共感や、主体性を持つことが必要条件ではないかと思うのです。常々、私はそういう関わり方でありたいと思っています。

最後に少しだけ今建設中の自邸の話に触れたいと思います。建築に何かしら関わる者にとって「自邸」は特別な建物です。今回のテーマに引き寄せて話すならば、私は自邸を「社会基盤」的な意識を持って作っている節があります。もちろん私たち家族の希望が反映されているのは間違いありませんが、一度造られれば何十年と残る建築には不動産としての責務があると考え、限られた予算をある程度のスパンで交換が必要になる設備や内装の仕様ではなく、躯体・空間の形や質に掛けようと意識しています。つまり、時と共に「変わる」ものと「残る」ものを意識的に分けて考えているという事です。具体的には35㎡の超狭小地を何とか活かすために、鉄骨造3階建てを断面的に綿密な検討をしてもらい約70㎡(+ロフト)の床を実現する事に費用を掛けました。また、狭い家ながら「余白」を意識し、私たちから誰かの手に渡ったときそれぞれの家族の色が入り込みやすいように計画しています。今から思えば建築家との対話の中で自分の価値観だけで判断せず、「あくまで自分たち家族は、その家の最初の住人」という思考が頭の片隅にあったがゆえに、自然とそうなっていったように思います。将来的には賃貸にせよ売買にせよ積極的に別の家族に家を繋いでいき、それぞれの人がそれぞれの形で住みこなすことが出来る基盤としての役割が果たされればと思っています。

自分が家を建てるという今を、パラレルプロジェクションズの開催時に全く想像出来なかったように、これからも想像を超え曖昧なままふわふわと変わっていく未来を楽しみ続けていきたいと思います。

佐竹 雄太
1985年生まれ、東京理科大学大学院理工学部建築学専攻修了後、アトリエ設計事務所等を経て現在、創造系不動産マネージャー。2020年9月にローンチされた建築家設計の中古住宅専門の不動産サイト「建築家住宅手帖」編集長。建築を歌う建築ラッパー。

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