トウキョウ建築まち歩き──日本橋・深川・本所

集合場所案内図:


集合場所は、日本橋北詰の「元標の広場」前です。12:45までにお集まり下さい。

その他:
雨天決行。ただし、気象状況等の事情により中止または行程を変更することがありますことをご了承ください。
中止につきましてはこのページでお知らせいたします。また、中止の場合の順延はありません。

まちのタカラ探し

 日本橋北詰からスタートして、江戸の下町、旧日本橋区、旧本所区、旧深川区を歩きます (ルートは6-7頁の地図をご覧ください。点線で示してあります。一部地下鉄を利用します)。
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 この地区は、江戸の昔の度重なる大火と、関東大震災、東京大空襲の業火をくぐり抜けてきました。それゆえ目にする建物のほとんどは新しく、「下町」という言葉が想起させる伝統的なまちなみの風景は期待できません。しかし、江戸の文化が華開いたのは、江戸城の東側の低地に町人を住まわせたこの下町からであり、今なお、まちの骨格と人びとの営みの中に、四百余年のまちの歴史は息づいています。古地図や浮世絵、古写真を携えながらまちのタカラを探すことを、今回のまち歩きの楽しみとします。
 江戸の橋といえば江戸下町の象徴である日本橋(慶長8/1603年)が有名ですが、もうひとつ、江戸にとって重要な橋は「明暦の大火」(明暦3/1657年)の後に隅田川に架けられた「両国橋」(万治2/1659年 or 寛文元/1661年)でした。この橋によって下町が、隅田川を越えて本所、深川に拡張することになります。数ある江戸の大火の中でも最大の被害をもたらした「明暦の大火」からの復興は、江戸のまちを大きく変えるものでした。
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 時代は下って東京に壊滅的な被害をもたらした関東大震災(大正12/1923年9月1日)からの復興事業では、今に至る東京のまちの社会基盤として道路、公園、橋、インフラが整備されました。建築の耐震化、不燃化の取り組みが進められ、復興小公園を併設した復興小学校が建設され、復興大公園(隅田公園、浜町公園、錦糸公園)が設置されました。市中の川に架かっていた橋も大部分が甚大な損傷をうけ架け替えられました。なかでもそれぞれに独自のデザインで隅田川に架かる橋は今回の見どころのひとつです。
 かつては1975年ごろまでに完成した「カミソリ堤防」がまちと川を分断していましたが、近年では「隅田川テラス」が整備され、川と橋を眺める新しいビューポイントが生まれました。
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 リノベーションによって、町の新しいタカラを生み出す試みもあります。オフィスビルをリノベーションした隅田川を眺めるテラスのあるホテルや、1960年代のビルを改装したゲストハウスやカフェが生まれています。関東大震災後の復興として、深川の清澄に東京市や民間が建設したRC造の店舗付きの住宅は、魅力的なカフェやギャラリーとして使われています。
 町の歴史が今もなお更新されている日本橋、本所、深川の魅力を堪能してください。

●古地図のリンク
国立国会図書館デジタルコレクション
 ■新板江戸大絵図 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1286180

同ページの解説より:
題簽書名。遠近道印の編により、寛文10年[1670]から同13年(延宝元年)にかけて順次、経師屋加兵衛から出版された5舗1組で江戸をカバーするいわゆる「寛文五枚図」のうち。各図とも遠近道印の肉筆花押つき。「新板江戸大絵図」(本図)と「新板江戸外絵図」4舗よりなる。木版筆彩(道、水、橋)。遠近道印は地図作者で医師でもあり、のちに富山藩に仕えた藤井半知の筆名とされる。明暦大火直後に、府内の精密な地図を必要とした幕府の命により、当時の大目付で、洋式測量にも通じていた兵学者北條安房守氏長の指揮下に行われた府内実測の成果にもとづき、板行は幕府の特別の裁許(「御訴訟を以て板行」)による。縮尺は1分5間(1間を6尺5寸とする、すなわち3250分1)。官許によること、方位、縮尺の正しさのほか、辻番所、坂、屋敷境の記号などを「本図」の凡例に示す。方位、縮尺の正しい「分間図」として後続の江戸図の典拠となった。大型図5枚の日用上の不便を考慮して、道印自身が1枚に縮図した絵図も刊行されるが、他の版元も相次いで本図に基づく同様の縮図を作製する。

 ■江戸名所図会 7巻 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2608887?tocOpened=1
 タイトル:江戸名所図会 7巻 著者:松濤軒斎藤長秋ほか、出版者:須原屋茂兵衛ほか、出版年:天保5/1834年 - 7/1836年

 ■分間懐宝御江戸絵図 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2543061
 タイトル:分間懐宝御江戸絵図 出版者:須原屋茂兵衛 出版年月日:安政4/1857年

東京都立図書館

江戸の町づくり──江戸から大江戸へ 転載によって広がっていった江戸のまち https://www.library.metro.tokyo.jp/portals/0/edo/tokyo_library/machi/index.html

城下町・江戸のはじまり https://www.library.metro.tokyo.jp/portals/0/edo/tokyo_library/machi/page1-1.html
→慶長江戸図(通称「別本慶長江戸図」) 弘化2年(1845)、神田上水之元絵図
「明暦の大火」からの復興 https://www.library.metro.tokyo.jp/portals/0/edo/tokyo_library/machi/page2-1.html
→新添江戸之図 明暦3年(1657)、新板江戸大絵図 麹町、日本橋、京橋、内桜田、芝筋迄 遠近道印製図 寛文10年(1670)刊
「大江戸」の誕生 https://www.library.metro.tokyo.jp/portals/0/edo/tokyo_library/machi/page3-1.html
→[大江戸鳥瞰図] 鍬形蕙林画、東都近郊図 文政8年(1825)刊


文の京デジタル文庫(文京区立図書館)
 ■寛永江戸全図 http://dl.lib.city.bunkyo.tokyo.jp/det.html?data_id=819
 【臼杵市教育委員会所蔵】寛永江戸全図(寛永19~20年)

国土地理院 古地図コレクション
 ■江戸實測図(南)https://kochizu.gsi.go.jp/items/172?from=category,7

同ページの解説要約より:
晩年の伊能忠敬による測量に基づき、縮尺6000分の1(1町を6分)で作成された江戸図の模写図。別名「江戸府内図」と称され、 手彩色で北部と南部の2枚で江戸市中を描いた。本図は、その南半分である。図中の凡例には、文化14年(1817)、高橋景保ほか6名が連署して、 図を作製することになった背景や測量過程などが明記される。北は上野不忍池、東が中川、南は品川宿、西は堀之内妙法寺まで描かれている。

●錦絵(浮世絵)のリンク
国立国会図書館デジタルコレクション

錦絵で楽しむ江戸の名所 https://www.ndl.go.jp/landmarks/
→墨田区(本所、向島) https://www.ndl.go.jp/landmarks/tokyo/sumida.html
→江東区(深川) https://www.ndl.go.jp/landmarks/tokyo/koto.html
→中央区(日本橋、京橋、築地) https://www.ndl.go.jp/landmarks/tokyo/chuo.html

東京都立図書館

TOKYOアーカイブ http://archive.library.metro.tokyo.jp/da/top
→名所江戸百景(83)、東都名所(65点)、江戸切繪圖(27点)

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トウキョウ建築まち歩き──湯島・本郷

不忍池から本郷台地を逍遥する

 不忍池からスタートして、まず本郷台地の東側にある「旧岩﨑邸庭園」を訪れ、ジョサイア・コンドル(1852 - 1920)設計の「旧岩崎久弥茅町本邸」の洋館(1896/明治29)、岡本春道設計の和館(1896/明治29)を見学します。
 岩崎久弥は、三菱財閥三代目の当主。「茅町本邸」というのは、この地がかつては下谷区茅町という地名であり、他に「深川別邸」(現、清澄庭園)と「駒込別邸」(現、六義園)があったためです。当初の敷地は、南は現在の春日通りまで、西側は国立近現代建築資料館を含む湯島地方合同庁舎を含むものでした。
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 続いて、旧岩﨑邸北側の無縁坂(森鷗外の小説『雁』の舞台)を西に向かって上り、上り詰めたところの「鉄門」から東京大学本郷キャンパスに入ります。
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 東京大学は、1877/明治10年、洋学教育機関の「東京開成学校」と、医学教育機関の「東京医学校」が合併して創設されます。その前年末に東京医学校がこの地へ移転したのが本郷キャンパスの始まりで、鉄門(1878/明治11年、現存せず)が正門でした。正面に建っていた「東京医学校本館」(1876/明治9年、設計:林忠恕)は、現在は「小石川植物園」の一画に移築されています。その後、東京開成学校を母体とする法科大学、文科大学、理科大学に加えて工科大学も次々と本郷に移転し、1888/明治21年には5つの分科大学の校舎が本郷に集結しました。
 明治時代末に正門(1912/明治45年、総長の濱尾新が構想、設計:伊東忠太、山口孝吉)ができたころには、街路やオープンスペースが整備された都市的なキャンパスとなりましたが、1923/大正12年の関東大震災によって、そのほとんどが失われてしまいました。
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 現在の東京大学本郷キャンパスを特徴づけているのは、震災復興として建設されたネオゴシック様式の建物群です。東京大学教授と営繕課長を兼任した内田祥三(1885 - 1972)によるもので、その様式は「内田ゴシック」とよばれています。内田による復興計画で建築のデザイン以上に重要なのは、街路と広場によってキャンパスの骨格を構築したことでした。現在に至るまで、本郷キャンパスは時代の要請によりさまざまな増改築や新棟の建設が行われていますが、そこには内田の示した空間のルールが尊重されています。
 建物の内部は、2014/平成26年に復元的に改修された安田講堂と、1996/平成8年に中庭を室内化するなどの改修された工学部1号館を見学する予定です。
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 東大の赤門を出て、「求道会館」(1915)と「求道学舎」(1926)に向かいます。
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 「求道会館」は、真宗大谷派の僧、近角常観の信仰を伝える仏教の教会堂で、2002/平成14年に修復されました。学生寮として建てられた「求道学舎」は、長崎・軍艦島の炭鉱住宅を除いては、鉄筋コンクリート造の最古の集合住宅といわれています。2006/平成18年にコーポラティブ方式の集合住宅にリノベーションされました。改修設計に関わられた近角真一さんは、近角常観のお孫さんです。
 ふたつの建物の設計者、武田五一(1872 - 1938)は、東大卒業後、助教授となりますが、留学から帰国後、京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)図案科教授となり、その後も関西の建築文化の発展に寄与し、関西建築界の父といわれる建築家です。
 コンドルに始まる東京大学の建築家の系譜は、日本の近代建築の歴史に重なります。彼らの作品を辿ることも、今回の建築まち歩きのひとつのテーマです。


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トウキョウ建築まち歩き──原宿・渋谷・代官山

丘から谷へ、谷から丘へ

 巡り歩く実体験を通してまちと建築の過去、現在、未来への知見を広げ、同時にその成り立ちに関わる方々の思いを知ることで、まちと建築への多角的な視点を獲得することが「トウキョウ建築まち歩き」のねらいです。
 今年は、「渋谷駅周辺開発プロジェクト」と、「代官山ヒルサイドテラス」の見学を軸としながら、全行程を徒歩で巡ることで地形を体感し、行程途中にある建築作品の佇まいを眺めつつ、まちの成り立ちを確認します。
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 国立代々木競技場原宿口からスタートし、表参道を下り、暗渠となった旧穏田川(渋谷川)を辿って渋谷駅周辺へ。「渋谷ヒカリエ」の上階から、変貌しつつある谷のまちの未来を幻視します。
 そこから今度は道玄坂を上り、松濤を経て、旧山手通りへ。三田用水跡を辿って、西郷山公園で一休みした後、半世紀の年月の中でつくられた丘のまち「代官山ヒルサイドテラス」に至ります。全行程約6kmの道程です。


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