建築夜楽校2024
国家イベントについて考える
大阪・関西万博を通して
2025年開催を目指す大阪・関西万博は、税金の無駄遣いという観点から批判の声が上がっていますが、一方で、開催すること自体の意義や経済効果の観点からの肯定的な議論もあります。しかし、本質的に語られるべき議論は経済面の問題ではなく、そもそも万博とは何なのか、そしてそれが2025年においてどのような意味を持っているのか、ではないでしょうか。仮に莫大な税金がかかろうとも、国民の納得があればそれは無駄な事業とは言い切れません。その納得感とかかる金額に対する乖離が現状を生んでいると言えるのではないでしょうか。
そもそも納得感があった時代の万博とは何でしょうか。そしてもし可能性があるとしたら、何がこれからの大阪・関西万博に納得感を付与できるのでしょうか。あるいは、そもそも万博という仕組みそのものが時代錯誤になっているのではないでしょうか。今回は、金銭的な観点からの大阪・関西万博批判ではなく、イベント資本主義と呼ばれ繰り返し行われる国家事業について、その問題の本質に迫ります。ぜひ、ご参加ください。
写真:斎藤公男(1989年撮影)