配信アーカイブ
開催レポート
「都市開発の現在地 ― これからのあるべき開発の姿とは ―」と題して、10月1日にシンポジウムを開催した。近年の東京では、巨大資本による大規模開発が各地で進められている一方で、地域に根ざしたスモールスケールな開発もまた確実に存在している。開発のあり方が二極化しつつあるいま、都市はどのような方向へ向かおうとしているのか。本企画は、そうした問いから出発したものである。
近年の大規模開発は、都市の骨格そのものを変える力をもつ。渋谷や港区で進む再開発の多くは、容積率緩和によって床面積を最大化し、高層ビルを建設する手法が中心となっており、かつてそれらの街が持っていた猥雑性や多様性が失われていくことへの懸念も少なくない。一方で、渋谷川の再生やパブリックスペースの整備など、行政が長らく手を付けられなかった都市の公共性に民間が踏み込んでいる側面もあり、開発のポジティブな効果も確かに存在している。神宮外苑や万博跡地に見られるように、行政が規制緩和によって民間開発を後押しする事例が増えるなかで、その先にどのような都市像が立ち現れるのかは、いままさに問われている問題である。
こうした状況を踏まえ、本シンポジウムでは「これから求められる都市開発とは何か」をテーマに、第一線で議論と実践を続けてきた専門家たちを招いた。登壇者は、都市開発の問題点を長年にわたり批評してきた大方潤一郎氏(東京大学名誉教授)、東急において渋谷の開発を主導してきた東浦亮典氏(東急総合研究所代表取締役社長)、そして横浜を拠点に小さな点からのまちづくりを実践する若林拓哉氏(ウミネコアーキ代表取締役)の三名である。会場は建築会館ホール+YouTubeでのライブ配信で開催し、当日は○○○名の参加者が集まった。
前半では三氏それぞれに20分ずつのプレゼンテーションを行っていただき、後半ではその内容を受けて三者による鼎談を行った。制度、資本、地域、建築の実践という異なる立場が交差することで、現在の都市開発が抱える矛盾と可能性が立体的に浮かび上がる時間となった。
大方氏の話は、特例緩和や容積割り増し制度がどのような歴史の中で生まれてきたかという説明から始まった。日本の都市計画は、明治以降、火災や震災を繰り返す中で「燃えない中高層都市」を実現することを悲願としてきた。木造建築が密集する市街地を不燃化するため、容積率の大幅な緩和が導入され、都心を中高層、郊外を住宅地とする現在の都市構造が形成されていった。
しかし1960年代以降に建てられた中高層建築も築50年ほどを迎え、今度は「耐震性」を理由に再開発が進められるようになる。かつては不燃化のための手段だった容積割り増しは、より大きな建物を建てるための目的へと変質し、1990年代以降、制度の本来の趣旨が失われていった。
低金利と税制の影響により不動産は投資商品化し、企業は業務上の必要ではなく資産運用として建て替えを行う。行政も高度利用による税収や収益を期待し、民間と一体となって再開発を推進する。その結果、工場跡地や密集市街地だけでなく、公園や緑地などの公共空間までが再開発の対象となり、アリーナや超高層ビルの建設が正当化されている。
一方で、日本の再開発は都市全体を見通した戦略やマスタープランを欠き、「できるところから進める」場当たり的なものになっている。個々の再開発は区域内だけを更新し、周辺の街路や都市の文脈を無視したまま高密化を進めるため、過剰な負荷を周囲に与え、街の連続性や公共空間の質を損なっている。公開空地も容積確保のための形式的な緑地に堕し、歩行や賑わいの場として機能していない。大方氏は、地域住民のニーズを反映させ、規制を上限として適切に設定しながら、戦略的な都市更新を行う必要性を強調した。
東浦氏は、AI時代の到来によって電力需要が急増する一方で、再生可能エネルギーの導入が停滞し、洋上風力やメガソーラーが景観や地域との摩擦で頓挫している現状を示し、「許可が取れるかどうかではなく、やってはいけないことがある」という視点の重要性を強調した。下水道の老朽化や富士山噴火時の降灰対策など、インフラの脆弱さも顕在化しており、日本社会は複合的なリスクの中にあるという。
さらに、交通空白地の人口が増加する中で、自動運転への期待も事故などで停滞しており、すぐに万能な解決策にはならないと指摘した。高齢化が進み、健康寿命と平均寿命の差が大きい現実の中で、住環境や移動の問題はより切実になる。マンション投資による価格高騰や「潤日」に象徴される海外マネーの流入も、都市の居住のあり方を歪めている。
こうした状況を踏まえ、東浦氏はこれからのまちづくりには多面的な視点が必要だとし、ジェントリフィケーションを抑制する制度が日本には乏しいことを問題視した。デベロッパーには短期利益を追う「狩猟型」が多いが、鉄道会社である東急は路線と地域に縛られた「農耕型」であり、本来は地域価値を育てる役割を担えるはずだと述べた。ただし市場の論理に引きずられる現実もあり、住民側にもリテラシー教育が必要だという。
Park-PFIなどに見られる公共性と資本のバランス、地方は東京を真似るのではなく地域固有の価値を磨くこと、住民自身が主体的に地域を変えていく姿勢の重要性も語られた。最後に、田園都市開発がグリーンベルトの欠如やスプロール化、ベッドタウン化を招いた反省を示し、都市と地域の再構築が問われていると締めくくった。
建築家の若林氏は、1967年に建てられた「新横浜食料品センター」を、地主の息子である建築家として再生した経験を軸に、既存の建物や土地を更新しながら使い続ける建築の可能性を語った。同センターでは、営業中の店舗を尊重し、入居者が残る側に移転してもらいながら建物の半分を解体し、人工地盤の上にボックス状の店舗を増築する手法を採用した。統一的なデザインではなく、各店が好き勝手にオーニングを付けるような「ばらばらの個が群として集まる」状態を建築のコンセプトとして肯定し、入居者自身が建築に関わるプロセスを重視している。
同様の思想は、低層住宅地に建つ「郵便局アルノー」などにも見られ、住居と店舗を組み合わせたボックス・イン・ボックスの構成によって、暮らしと商いが交わる場をつくっている。1970年代の列島改造期に大量に建てられ、今まさに老朽化している全国のストックを、このような手法で再生していくことが、日本中で可能ではないかという問題意識が示された。また、用途が明確に規定されたカフェや図書館ではなく、「何屋かよく分からない」未知の施設を地域に埋め込み、日常の中で挑戦しやすい場をつくることの重要性も語られた。
「森庭山荘」では、相続によって失われがちな樹林地をどう守るかがテーマとなり、樹木の全数調査やゾーニングを行い、水の流れを妨げないよう杭で浮かせた建築や、伐採木を柵に再利用するなど、時間とともに更新される仕組みが組み込まれている。
若林氏はこれを「私設公共」と呼び、行政や大企業がつくる均質な公共空間とは異なる、私的だが誰かにとっては強く意味をもつ公共性の可能性を提示した。新横浜の再開発に対して地権者とともに反対運動を行った経験にも触れ、治水や経済合理性を口実にしたタワマン開発に異議を唱えた。最後に、土地を守り育て次世代につなぐという本来の「地主のマインド」が現代社会で失われていることを問題提起し、建築とはその回復に関わる行為だと結んだ。
その後、三者による鼎談を行なった。
三者の議論は、それぞれの立場から日本の都市開発が制度的にも思想的にも行き詰まりに来ているという共通認識を浮かび上がらせた。大方氏は、容積率緩和や特例制度が本来の公共目的を離れ、行政が歯止めをかけられないまま民間の利益装置になっていることを批判した。東浦氏は、少子高齢化、エネルギー、交通、地域衰退など多様な問題を抱える日本で、都市の課題が一律の「再開発」へと単純化されている現状に警鐘を鳴らす。若林氏は、建築の実践や開発への抵抗運動、そして「地主のマインド」を通して、都市とは本来どうあるべきかを問い直す姿勢を示した。
議論の軸の一つは「土地のコンテクスト」だった。日本の都市はもともと低層で細分化された敷地の集積として形成されてきたにもかかわらず、人口や資本の論理によってそれが無視され、タワーマンションがどこにでも建つ状況になっている。では「土地の文脈」とは何か、どこまで尊重されるべきなのかという問いが投げかけられた。
若林氏は、開発が事業者と行政だけで進み、市民が最後に意見を求められる現在の仕組みを問題視し、より早い段階から住民が関与できる「開発デザイン協議」のような仕組みが必要だと述べた。東急の沿線開発のように、長期的に地域と関わる「農耕型デベロッパー」の姿勢は、渋谷のような短期回収型の開発とは異なる落ち着きを生んでいるという指摘もあった。
大方氏は、神宮外苑をはじめ多くの再開発が「事業者提案型」の地区計画として密室で進められ、戦略的環境アセスメントも及ばない現状を批判した。ヨーロッパのように、計画の初期段階から市民と議論しながら学習していくプロセスが日本には欠けているという。かつて横浜市と東急が住民参加型で進めた事例では、説明会を通じて関係がむしろ良くなった経験も紹介された。
一方で、適切な説明がなされれば、住民も経済合理性を理由にタワーマンションを受け入れてしまうのではないか、というモデレーターとしての問題提起もあった。行政が再開発で得た利益をインフラに回すと説明されれば、反対は難しくなる。だが用途地域や容積率の専門的な制度は市民に説明しきれず、紛争は裁判で実害が出るまで表面化しない。多摩プラーザでのワークショップのような対話の場を、どのスケールで設けるのかが問われた。
話題は「白紙に戻す」ことの難しさにも及んだ。一般的な再開発プロセスを踏んでいる以上、行政はそれを正当化しがちだが、土地の文脈を生かすためには、金太郎飴のような再開発を一度止め、現状からリノベーションを積み重ねる選択も必要ではないかという意見が出た。江戸の町割りのように、細かな敷地の粒度が都市の多様性を支えてきた歴史を踏まえれば、日本の「スクラップ&ビルド一辺倒」は再考すべきだという認識で一致した。
工事費高騰で高容積でも採算が取れなくなりつつある今は、むしろ転換のチャンスであり、小さなリノベーションの集積や既存ストックの活用による「保全型」の都市更新が現実的になりうる。問題は、多数の地主や住民の間でどう合意形成するかであり、「地域社会」やコモンズの再構築が不可欠だという議論に行き着いた。
最後に、大方氏は、日本の再開発を決定的に歪めているのはデベロッパーでも建築家でもなく、制度をつくる国の役人だと指摘した。住民のリテラシーを高める以前に、行政自身が都市をどう更新するのかという知性を取り戻さなければならないという厳しい問いを共有する場となった。
[山本至/itaru/taku/COL.共同主宰]