中国地方・石見銀山街道の特徴と価値をテリトーリオ(地域)の視点から再発見する

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中国地方・石見銀山街道の特徴と価値をテリトーリオ(地域)の視点から再発見する

陣内秀信先生と歩く宇津戸の銀山尾道道

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 石見銀山街道は、石見銀山で産出された銀地金を陸路で瀬戸内の港へ運ぶ街道です。そのうち、尾道港を結ぶ尾道道(おのみちどう)の一区間を歩き、街道沿いに眠る建築や旅のインフラの構成要素を再発見し、街道を軸に、社会経済的にも文化的にも共通のテリトーリオが成立していたことを描き出したいと思います。
 こうした発想でその場所本来のポテンシャルを再認識することで、まちや地域の再生を考えてみましょう。

開催概要

主 催 日本建築学会中国支部歴史意匠委員会
日 時 10月30日(日)14:00~16:30
見学先 宇津戸周辺
集合場所 世羅町宇津戸自治センター(宇津戸公民館)(広島県世羅郡世羅町大字宇津戸1491-1)
解説者 陣内秀信(法政大学特任教授)
対 象 どなたでもご参加ください。
定 員 20名(申込先着順)
参加費 無料
申込方法 中国支部Webサイトからお申込みください。
問合せ 日本建築学会中国支部
TEL:082-243-6605 E-mail:chugoku@aij.or.jp
備 考 荒天時もしくは蔓延防止重点措置等の発令時は中止といたします。

開催レポート

今年度の中国支部の建築文化週間事業は、石見銀山街道を歩いて地域特性を感じ取ることを目的として見学会を企画した。石見銀山(島根県大田市大森)は、中世後期から近世前期に最盛期を迎えた銀山で、産出された銀地金は銀山街道や「銀の道」と呼ばれる街道を通り、主に4か所の港に運ばれ大陸等に輸出された。石見銀山に近い日本海側の温泉津・沖泊と鞆ヶ浦(ともに大田市)への街道は、「石見銀山遺跡とその文化的景観」として世界遺産に登録されるが、瀬戸内海側の笠岡(岡山県)と尾道(広島県)にも長い陸路での銀山街道が整備されていた。そのうち「尾道道」は総延長130kmほどあり、九日市宿(島根県美郷町)・三次宿(広島県三次市)・甲山宿(世羅町)の宿場を通り、3泊4日で石見銀山から尾道に至る銀山街道である。
10月30日(日)の見学会では、広島県尾道市より内陸部の広島県世羅郡世羅町宇津戸を選び、約半日かけて町並みを一周して歩いた。銀山街道沿いに続く多くの町並みの中で宇津戸を選んだ理由としては、下調べで街道沿いに古い町並みや社寺等の構成要素が残っており、また矩折れ(L字)の街道が印象深かったためである。ただ宇津戸の町並みに関しては史料が乏しく、各分野での調査報告等もないため、参加者すべてがほぼ初見の地域であった。
見学の講師には陣内秀信氏(法政大学特任教授)をお招きし、「テリトーリオ(territorio)」の視点から宇津戸およびその周辺地域の読み解きを試みた。近年、陣内先生が提唱する地域の新たな捉え方であるテリトーリオとは、「地域」を意味するイタリア語であり、都市や集落を含むその周辺地域を指す。土地や土壌などの自然条件の上に、人間の手による文化的景観、歴史、伝統、政治、経済、産業、記憶、暮らし、食文化などが結びついて成立した様々な側面を合わせもつ一体のものである。
江戸時代から続く古い町並みを見た際に、例えば建築史の分野からでは建ち並ぶ建造物(町家など)の建築年代や規模、意匠や構造の特徴等が関心事であるが、水路や石碑、道標、小路やあぜ道等も1つ1つ丹念に拾い、それぞれの関係性を分析するといった視点の違いを感じた。

事前レクチャー
宇津戸の町並み

さて、当日の見学会であるが、暖かな秋晴れとなり、最高のまち歩き日和であった。参加者は地域の観光ガイドの方や学生を含め17名であった。まず世羅町宇津戸自治センターにてレクチャーを受け、瀬戸内テリトーリオ、銀山街道を軸にしたテリトーリオ、古墳・山城・神社など広域な視点から宇津戸のテリトーリオといった大小様々なテリトーリオがあることを理解し、今回歩く範囲の位置づけを確認した。そして2班に分かれて実際にまち歩きをしながら、民家や社寺といった建造物だけでなく、山や川といった地形から、山路・水路・あぜ道・橋梁といったインフラ、また石垣や石碑、地蔵・道標といった中世から近世にかけての遺構を白地図にプロットし撮影を行った。さらには道行く方に話しかけ、かつてこの町がどのように機能してきたのか聞き取りを行った。戦後すぐの住宅地図をもとにヒアリングすると、住民の方の記憶が昨日のごとく蘇り、当時の様子を丁寧に教えていただいた。時間軸とともに空間が描かれる精力的な調査手法である。集落の中心部だけでなく、周辺地域も同様に調査を行い、これらをつなぎ合わせることによって、古代から中世、近世、近代そして現代に至るまでの宇津戸の町並みや社会構造の変遷を積層して包括的に表現できる。
ところで宇津戸の町並みの大きな特徴でもある、あたかも城下町のアイストップのような人為的な街道の矩折れの謎であるが、地元の方によれば運搬用の牛馬が離れて逃げた際の抑止になるからだという。真偽はともかく興味深い伝承であった。

聞き取り調査
観音寺での集合写真

実際に陣内先生と現地を歩いて見ることで、街道沿いに眠る建築やインフラの構成要素を再発見し、本来のポテンシャルを再認識することができた。特に参加した学生には、新たな視点での町並みの見方や調査方法について刺激を受けた見学会となった。個人的には「中世は内陸部から沿岸部への縦断の道、近世は沿岸部の横断の道」という話が印象深かった。確かに現代においては海上輸送などの影響から主要都市は沿岸部に多く存在するが、中世においては街道が交わる内陸部が要衝であったことを思い浮かべることができた。内陸部に焦点を当てたユニークな見学会であった。改めて陣内先生には感謝を表します。

参考文献:杉原耕治『銀の道ものがたり』(山陰中央新報社、
2011年)

[金澤雄記/広島工業大学准教授
樋渡彩/近畿大学講師]

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