麻布・飯倉 坂歩き

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レポート

トウキョウ建築まち歩き2022

麻布・飯倉 坂歩き

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今回は、麻布・飯倉を歩きます。土地の地形と来歴が導いた建築とまちの変遷を見ていくことが今回のポイントです。麻布台地南西の有栖川宮記念公園からスタートし、台地を巡って谷筋の麻布十番を歩いたのち、鳥居坂から飯倉台地に登り、東京タワーの足元の芝公園に至ります。建築の見学はすべて路上からで、インカムを使用して歩きながら解説するとともに、地図と解説を収録したブックレットを配布いたします。ぜひ、ご参加ください。

開催概要

日時 10月29日(土)13:00~17:00
見学先 南麻布、芝公園周辺
集合場所 有栖川宮記念公園広尾口入口(東京都港区南麻布5-7-29)12:45集合
ナビゲーター 大森晃彦(建築メディア研究所代表)
対象 どなたでもご参加ください。
定員 30名(申込先着順)
参加費 無料
申込方法 日本建築学会Webサイト「催し物・公募」欄よりお申し込みください。
備考 専用Webページ(http://bunka.aij.or.jp/machiaruki/)に詳細情報と過去のまち歩きの資料を公開しています。

開催レポート

集合場所は有栖川宮記念公園広尾口、集まった参加者は29名であった。参加者には、今回の見どころの解説およびガイドマップを収録したハンドブックと、ナビゲーターの解説を聞くためのインカムを配布した。なお、ガイドマップとハンドブックの内容は、過去の開催時に配布したものも含めて専用Webページ(http://bunka.aij.or.jp/machiaruki/)で閲覧およびダウンロードが可能である。

【海の底の山の手】
今回歩いたのは東京の山の手の一画である麻布・飯倉。この地区には、六本木交差点あたりから南に延びる麻布台地(南麻布、元麻布、西麻布)と、東に延びる飯倉台地(麻布台、芝公園)というふたつの台地と、その間の谷筋に麻布十番・麻布狸穴町があり、飯倉台地の北側には我善坊谷がある。
周辺には、赤坂台地や青山台地といった台地がいくつもある。ここで地質学を紐解くと、これらはいずれも武蔵野台地の東端部に位置する「淀橋台」と呼ばれる台地の一部であるという。淀橋台は、13 ~ 12万年前に海水面の上昇があったときの海底であり、海底には平坦面が形成される。その後、最終氷期(約2万年前)に向かって海水面は徐々に低下していき、この間に形成された海岸段丘が淀橋台である。時の経過とともに侵食が進み、谷が深く刻まれて、小さな台地が連なる山の手の地形が形成されたわけだ。ちなみに、同じ武蔵野台地でも淀橋台より西の部分はより新しい9 ~ 6万年前の扇状地で、JR中央線沿線の平坦な風景を形成している。

【縄文海進と沖積低地】
最終氷期に100m以上下がった海面は再び上昇する。約5,500年前の縄文前期に頂期を迎えたといわれる縄文海進である。この海進によって、淀橋台には波に洗われた崖が生まれ、谷筋には海水が流れ込み、海底に生まれた平坦な土地がその後の海退で現在の沖積低地となる。縄文海進で海水面がどの程度上昇したかについては2 ~ 3mから20mと諸説あるが、今回訪れた麻布台地南側斜面で古川を臨む本村町貝塚は、古川の横を走る明治通りのあたりで標高が約9m。貝塚はここまで海が来ていたことを物語っている。

【最初の外国公館があった麻布山善福寺】
1859(安政6)年、アメリカ合衆国の初代駐日公使となったタウンゼント・ハリスは、幕府より貸与された善福寺にアメリカ公使館を置いた。善福寺の境内にはハリスの記念碑が設置されている。善福寺は麻布台地の東端部にあって、麻布十番商店街はその門前町から始まったという。東京の外国公館は港区に多いが、この麻布台地と飯倉台地、そして三田段丘に集中している。
善福寺の参道を行くと本堂の屋根の背後に聳えるのは元麻布ヒルズのタワー棟。元麻布ヒルズが建っているのはかつては善福寺の敷地だった。

ルートマップ。麻布台地の西端にある有栖川宮記念公園の低地側から公
園の中を辿って台地に登り、比較的平坦な台地の上を巡ってから麻布十番、狸穴の低地へ。そこから飯倉台地に登り、台地の東端部に建つ東京タワーの足元、芝公園に至る。
スタート地点の有栖川宮記念公園。西側の広尾口を入ったところは大きな
池を巡る池泉回遊式の日本庭園。笠間浅野家下屋敷、南部家下屋敷、有栖川宮御用地、高松宮御用地を経て、1934(昭和9)年に公園となった。

【パティオ十番】
仙台坂上の交差点から北へ、元麻布ヒルズの前を過ぎて坂を下りていくと、道は緩やかに右に湾曲してパティオ十番に至る。パティオ十番は戦後の区画整理で1952(昭和27)年に生まれた広小路で、現在のかたちに整備されパティオ十番と名付けられたのは1986(昭和61)年。戦後の区画整理で注目されるのはパティオ十番から先の道路だ。左に湾曲して麻布十番大通りに合流するように付け替えられている。都市に賑わいを求めた都市計画家・石川栄耀の思想がある。

【飯倉台地の宗教施設と縄文の風景】
霊友会釈迦殿、聖アンデレ教会、聖オルバン教会と、飯倉台地の東側には宗教施設が多い。飯倉の交差点に建つノアビル、そして台地の端部に建つ東京タワーも、宗教的なイメージを感じさせるものがある。東京タワーの先、飯倉台地の下には増上寺がある。縄文海進がどこまでかは不明だが、飯倉台地の東側には今よりも広い東京湾が広がっていたはずだ。

[大森晃彦/建築メディア研究所代表]

ガイドブック表紙(B5サイズ8頁)。QRコードから専用Webページにアクセスできる。
ガイドマップの麻布十番周辺。緩やかに湾曲する大黒坂を下りると戦後の
区画整理で生まれたパティオ十番。パティオ十番の先の湾曲する道路も計画されたものだ。

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