道/街路/ストリートについて

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建築夜楽校2022

道/街路/ストリートについて

日本の街路に公共性はあるか?

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アメリカにおいてストリートという言葉は、ある特定の文化を象徴する言葉となっています。ヒップホップなどの多様な文化が道から生まれており、ストリートがいかに新しい活動の場となっていたかが容易に想像されるでしょう。それに対して、日本の街路はどうでしょうか? コロナ禍によって屋外アクティビティの需要が高まる今、道について考えるべき時がきています。日本の街路は、これからどのようにしてさらなる公共性を獲得できるのでしょうか。公共空間の設計を実践している建築家の西田司氏、公共性を問うアートを作り続けているアーティスト集団「Chim↑Pom from Smappa!Group」の卯城竜太氏、街路におけるコミュニティ形成を調査している文化人類学者の小川さやか氏を招き、多様な視点から「道/街路/ストリート」について議論いたします。ぜひ、ご参加ください。

開催概要

日時 2022年10月5日(水)18:00~20:30(開場17:30)
開催地 建築会館ホール(東京都港区芝5-26-20)およびリアルタイム動画配信
講演者 西田 司(オンデザインパートナーズ代表)
卯城竜太(Chim↑Pom from Smappa!Group)
小川さやか(立命館大学教授)
モデレーター 山本 至(itaru/taku/COL.共同主宰)
対象 どなたでもご参加ください。
定員 建築会館ホール 100名(申込先着順)
動画配信 制限なし(事前申込み不要)
参加費 無料
申込方法 建築会館ホールへの参加者: 日本建築学会Webサイト「催し物・公募」欄よりお申し込みください。
視聴方法 動画配信での参加者: 日本建築学会Webサイト「催し物・公募」欄に記載のURLよりご覧ください。

アーカイブ(YouTube)

開催レポート

「道/街路/ストリートについて」と題して、10月5日(水)に建築会館ホールおよびYouTubeによるリアルタイム動画配信にて開催した。参加者は計283名(うち動画配信258名)であった。日本の街路はこれからどのようにして公共性を獲得できるのか。講演者には、西田司氏(オンデザインパートナーズ代表)、卯城竜太氏(Chim↑Pom from Smappa!Group)、小川さやか氏(立命館大学教授)を招き、シンポジウムの前半には、3名の講演者が各20分間のプレゼンテーションを行い、後半では講演内容をもとにディスカッションを行った。
西田氏は、街路の再生として実際に各国で行われている取り組みや、自らが設計者として実践しているプロジェクトなどについて語った。日本でも、「2040年、道路の景色が変わる」という都市再生構想を国土交通省の若手職員が中心となり作り上げている。また西田氏は、街路を市民に開く取り組みとして、自らも横浜の関内の商店街で上記の制度を使った実践を行なっている。西田氏はこのような体験を通して、公共空間を介して人々が相互扶助的に助け合っているさまを目の当たりにしたという。その実現においては空間の設計でなく、時間の設計が重要であると考える西田氏は、パブリックな空間をパブリックな時間と読み替えている。
卯城氏は、自らの過去の作品を例にあげながら、街路の公共性について新たな視座を提示した。ある時代以後、Chim↑Pomは自ら公共性を作るという取り組みを始める。最初に「道が拓ける」という作品でとある敷地を回収し、何をしても良い空間、規制のない空間を作り上げた。しかしいざできてみると、思っていたよりも偶発的な出来事が起こらない。そこに日本の社会性をみた彼らは、台湾で「道(Street)」という作品を発表する。これは台湾の国立美術館の敷地内に、美術館建築の内部と、敷地が面している公道をつなぐ道を作るという作品である。この道の上では、同様に公共空間である美術館内部でできることと公道でできることの差が浮き彫りにされ、一言で公共空間といえどもそこには多様なルールの差があることを明らかにした。そのうえで、この新しい道にはどちらにも属さない独自のルールを設けることで、公共性とはルールの下に成り立っていることを明瞭にした。
小川氏は、タンザニアの露天商を例にとり、市場としての公共空間というテーマでご講演いただいた。タンザニア路上商人の相互扶助的にも見える行為は、経済学的には不合理に映るが、実態は明確な理由が存在する。この行為は自らの仕事が軌道にのり、ある商売がフォーマル化できるようになったとしても、インフォーマル経済を路上に残しておくことで、路上の自治権を自らに残しておくという意味をもつからである。すべての経済活動がフォーマル化することで、路上は行政の管轄下に置かれ、元々彼らがもっていた自由な振る舞いは強く制限されることとなる。これはモースの贈与論に則れば、自らの分身をばら撒いているという行為に他ならない。このように世界を捉えると、建築やアートなど、あらゆるものは作り手や持ち主の人格を宿しており、それが人知れず後世の人々に贈与されていると小川氏は語る。すなわち公共空間というものは、単純な権利の複層ではなく、個々人の分身の総合体である。

その後のディスカッションでは、「個から公へのアプローチ」「公共空間における個人の振る舞い」などがテーマとなった。卯城氏は、個という異物に対しての許容範囲が狭くなったとアーティストの視点で語る。岡本太郎が大阪万博の時に、自身の作品のために丹下健三設計の大屋根に穴を開けたという行為や、ネオダダに代表されるエクストリームな行為が、今の公共空間のなかでは許容されないと指摘し、自らの作品は、公共空間としてどのような行為までを許容できるかを探るのが主題になっていると語った。
小川氏は上記の話を受けて、多様性が集約されるときに生まれる自治感覚について語った。タンザニアにおいては、そもそも人以外も含めたあらゆるものが混在しているため、その多様性を維持するために自然と自治感覚が生まれる。これは動物なども含めたあらゆるものが公共性に含まれており、それが既成の秩序を破壊し、新たな公共圏を作っていくことを示唆している。
上記の話からも、卯城氏や小川氏はアナーキズムの観点から、行政主導などによる公共空間創出ではなく、個人の集合体による偶発的な自律的秩序の発生に魅力を感じている。行政的な取り組みは部分的に評価する一方で、新たな規制を作り上げる道具ともなり得るのではないかと危惧する。
一方で西田氏は、「見通しの良い道路」「見通しの悪い道路」を例にとり、生活している側としては見通しの悪い道路の方が気持ち良く感じるとし、今まで行政が作ってきた管理しやすく見通しの良い道路ではなく、公共物として新たな議論ができる時代になっていると述べる。行政とともに仕事をする立場として、見通しの悪い道路がもつ空間的魅力が議論から簡単に排除されない時代になったことは大きな進展と見るのである。
いずれにしても三者に共通していたことは、公共空間というものが個人に対して規制を課す道具ではなく、多様な個が作り出す存在して見ているということにある。それは個人を許容するという意味ではない。許容するという行為はお上から活動する許しをもらう行為であるからであり、許容、拒絶が上から行われるのではなく、多様な個人が作り出す存在として捉えることの重要性を述べていた。

[山本至/ itaru/taku/COL.共同主宰]

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